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進学率が上がり、知力が低下した…!? [科学]

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『やぶにらみ科学論』(池田清彦/ちくま新書)より抜粋。 


…… 昔、15の春を泣かせるな、という標語が流行ったことがあった。どちらかというと進歩的な左翼系の人々が唱導していたと思う。能力がなくても高等教育を受ける権利があると、社会も学生も思い込んだのは、このあたりからであろうか。小学生の時から、ちやほやされて育った子供は、親も教師も自分に奉仕する執事だとでも思っているのかも知れない。
 すさまじい話はいくらでもある。高校生の娘が大学に行きたいが数学ができないので、少し見てくれないかと頼まれて家庭教師をした私の友人の友人は、父親に次のように言ったという、「お父さん。びっくりしちゃいけませんよ。お嬢さん、100ひく77が解けないんですよ」。それで大学に行きたいと言うのである。話半分としてもすご過ぎる。
 大学の定員が18歳人口の一割であったなら、こんなにすさまじい勢いで若者のバカ化が進むことはなかったろう。それを生み出したのは、知的能力平等原理主義という科学的にはトンチンカンな思想であることは間違いない。左翼はある意味で大勝利を収めたのである。風が吹けば桶屋がもうかる、といった類の話ではあるが。……
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 人間の能力は、平等ではないと思います。足の速い子、力の強い子、頭の良い子。いろんな子供がいます。同じ家で育った兄弟でも、得手不得手があるのです。ましてや、いろんな家で生まれ育った子供が集まれば、十人十色、一人ひとり違った能力を持っていると考えるのが普通です。

 しかし、そういった子供の適性の有無に目を塞いだ結果、大学進学率が高くなり、大学生の知力が低下したのは事実だと思います。大学生のレベルが低下すれば、高校生のレベルも下がります。高校生のレベルが下がれば、中学生のレベルも下がります。親にしてみたら、我が子を少しでも良い学校に行かせたい、と考えるのが親心だと思います。子供にしてみたら、他の人も行くのだから自分も行きたいと考えるのは当然です。学校としたら、一人でも多くの学生に来てもらいたいと考えているだけです。

 『悪気がないから始末に負えない』という言葉があります。あるいは、『地獄への道は善意で敷き詰められている』という言葉もあります。皆がそれぞれ良かれと思ってやっていることが、全体的にみると、日本の教育水準を落とす結果に繋がっているようです。

 運動音痴にスポーツ選手になれと強要しては可哀そうです。同様に、勉強が苦手な子供を、高校や大学に行かせるのは、本人のためにならないとはっきり言えたら良いのでしょうが… 池田清彦氏のように、猫の首に鈴を掛けるようなことがはっきり言える人は貴重だと思います。

(by 小父蔵)


 【2010年3月25日 下関市街で撮影】 明日の夜は、天気が良ければ花見の宴会かも
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やぶにらみ科学論 (ちくま新書)

やぶにらみ科学論 (ちくま新書)

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 新書


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コメント 8

nyankome

形式的な平等には意味がないですね。
by nyankome (2010-03-25 16:23) 

侘び助

先生になる・・・が目標でしたが貧乏そして弟妹のために働き
夢は果たせなかったです。子供の向学心に自分の夢を託して
今はそれでよかったと思います。今だったら夢で終わらないかも
by 侘び助 (2010-03-25 20:51) 

小父蔵

nyankomeさん  コメント 有り難うございます
 権利としては平等ですが、能力に応じてという面もあってしかるべきという話です。日本の教育レベルを私が心配しても仕方がないのですが…
by 小父蔵 (2010-03-25 22:21) 

小父蔵

侘び助さん  コメント 有り難うございます
 経済的な理由で進学を諦めたということであれば、お気の毒だと思います。本当に勉強したい人が、努力すれば大学に行けるような仕組みがあれば良いなと思います。
 子ども手当をばら撒くくらいなら、奨学金制度を拡充したほうがよっぽど良いのかもしれません。
by 小父蔵 (2010-03-25 22:37) 

大将

とても自由な時代になりましたよねぇ
地震雷火事オヤジが怖くなくなって知力もどんどん下がってきたのかなぁ
by 大将 (2010-03-26 21:55) 

小父蔵

大将さん  コメント 有り難うございます
 昔は、よっぽど勉強しないと親が大学に行かせてくれなかったようです。最近は、本人も行くのが当たり前くらいに考えているし、親も経済的なゆとりさえあれば行かせようと思ってます。本当に勉強がしたい人だけ行くのが大学ではなくなったようです。
by 小父蔵 (2010-03-26 22:17) 

shira

 全文を読んだわけじゃないので断言はできないのですが、池田清彦という人は教育問題についての考察がイマイチのように思われます。

 まず、「大学の定員が18歳人口の一割であったなら、こんなにすさまじい勢いで若者のバカ化が進むことはなかったろう。」ですが、定員が大きいからいけない=定員は小さい方が良い、とは断言できません。大学の定員が本当に18歳人口の10%だったら、アナタ自分の子どもをその競争に参加させようと思いますか?小学校高学年の時点でさっさとあきらめる人が大量に発生するんじゃないでしょうか。
 それと、「左翼はある意味で大勝利を収めたのである。」というのも皮肉ではあるのでしょうけど、「どちらかというと進歩的な左翼系の人々が唱導していたと思う」という程度の理由でここまで言うのは言い過ぎでしょう。
 15の春を泣かせるな、というのは、元来は政治的経済的都合で(親が貧乏とか、学校の新設はゼニのムダだからやらないとか)教育を受ける機会を奪うな、というのが狙いであるはずです。この著者はスローガンの字句しか見ていません。
 そもそも高校は「中等教育」です。「高等教育」とは大学以降の教育を指します。

 日本社会の構造が決定的に変化させたのは、明治維新でも終戦でもなく、高度経済成長です。これ以降、日本中が「親の仕事を継ぐのは(医者や政治家でもない限り)危険な行為である」という状況に突入し、「進路選択」というものが初めて必要になりました。日本中の親が、もはや「お前は俺の跡を継いばいい」と自信を持って言えなくなってしまったのです。
 しかし親たちには進路選択のノウハウはない。そんな親たちをバックアップしたのが学校です。学校の先生は少なくとも農家や大工の棟梁や商店主よりは進路選択のノウハウを持っていた。だから学校は死活的に大切な機関であったのです。当然、小学校よりは中学、中学よりは高校の方が進路選択への期待は大きかった。だから「15の春」には本当に重い意味があったのです。
by shira (2010-03-28 03:05) 

小父蔵

shiraさん  コメント 有り難うございます
 私の解釈が間違っているのかも知れませんので、池田教授の言いたいことを理解するには、抜粋だけではなくて、全文を読む必要があるのかも知れません。
 個別の項目に関しては、長くなりますので、別記事で整理してみたいと思います。
by 小父蔵 (2010-03-28 09:02) 

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