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科学の無力性とは…!? [科学]

科学とオカルト (講談社学術文庫)

科学とオカルト (講談社学術文庫)

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/01/11
  • メディア: 文庫


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 科学の決定的無力性

 それでは、次の大地震がいつ来るとかいうことになると、科学による予測は極端にむずかしくなる。それは大地震の前にはどういう現象が共通に生じるかについての知識がまだあまりはっきりしていないからであろう。大地震はくり返し起きる現象だから、地震の前兆の共通性を取り出すことができれば、予知することはできるようになるだろう。しかし、大地震に共通の前兆といったものが、たとえば一週間前や、一ヵ月前にあるという保証はないのである。
 来年の今日の天候を、科学が予測できるようには決してならないであろう。それは一年後の前兆の共通性が、今現在、存在するとはとても考えられないからである。天候は一年を周期でおおよそのくり返しをする現象であるが、厳密なくり返しをする現象ではない。科学は観測によってくり返しの共通性を記述することができるし、そのメカニズムを説明することもできる。地球の公転面に対し、地球の自転軸が66.5度ほど傾斜しているのが、四季と大いに関係しているのは、地学をならった人ならだれでも知っていよう。
 だから、今日が八月一日として、東京では来年の今日は雪が降らないであろう、と予測することはできるし、この予測はまず間違いなく当たるであろう。しかし、その日が晴れるかどうかは科学では予測のしようがないのだ。晴れ、くもり、雨といった現象は、日単位でくり返す現象であって一年周期でくり返す現象ではないからだ。
 それに対し、人の一生というのはかなり厳密な共通性を有する長期のくり返し現象であって、五十歳の人を十歳の人と間違えることはない。
 人により多少変異はあるにせよ、加齢による老化のパタンは大体決まっており、科学はいずれ、このメカニズムを明らかにするであろう。現在、有力な候補はテロメア配列と呼ばれる染色体の末端にある塩基配列で、これは体細胞では分裂のたびに少しずつ短くなり、これがなくなると寿命が尽きるとの説がある。もっとも現段階では、テロメアば加齢の司令塔なのか、テロメア配列の短縮が加齢に伴う現象なのかは議論の余地がありそうだ。いずれにせよ、くり返し現象を説明することは科学の範疇の話だから、加齢のメカニズムは早晩、説明できるようになるだろう。
 あなたが今三十歳だとして、五十年たってまだあなたが生きているとしたら、あなたの皮膚の状態は今より確実に劣化しているであろうことは予測できるし、そはまず確実に当たる。しかし、その時あなたがどんな病気を抱え込んでいるかを、科学は予測することができない。
 病気もまたくり返し現象であるから、当然科学が扱える問題である。しかし、どんな病気にいつかかるかということは個別的な問題であるから、基本的に科学は扱えないのである。あなたは肺炎にかかるのかかからないのか、かかるとしたらいつかかるのかといった問題は、肺炎菌がこの世から消滅しない限り、科学がどんなに進んでも予測のしようがないのである。肺炎菌が時空間のある一点であなたにとりつくといった一回性の出来事は科学の与り知らぬことである。
 病気には肺炎のような外因性のものばかりではなく、内因性のものもあり、特に遺伝子(DNA)が関与するものは、遺伝子を調べれば、発症するかどうかを予測できるものがある。たとえばハンチントン舞踏病という病気は遺伝子を調べれば、その発症の時期はともかく発症そのものは確実に予測できる。これはハンチントン舞踏病というくり返し現象に対応する同一性がDNAという形で見出されるからである。しかし、ハンチントン舞踏病の遺伝子が私ではなく、なぜ他ならぬあなたにあるのかという問いに対して、科学は決定的に無力である。
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 何の細工もしていないサイコロを投げた場合、一から六までの目が出る確率は六分の一ずつになります。これは小学校の算数で習う初歩的な確率の理論なのです。

 これを証明するには、サイコロを何千回、何万回という単位で投げて、出る目を数えればよいのです。投げる回数を増やせば、それぞれの目の出る回数は、サイコロを投げた回数の六分の一に近づいて行くのが観測できます。
 もし、充分に大きな回数で調べても、特定の目の出る確率が六分の一より極端に大きかったり小さかったりしたら、そのサイコロはバランスが崩れている可能性が高いのです。

 ここまでは、小学生でもわかる話です。

 問題なのは、何の細工もされていない、正確なバランスのサイコロを投げた場合、次はどの目が出るのかという予測は、統計学では出来ないということなのです。
 何千回、何万回という回数をくり返せば、どの目がどの確率で出るのかは統計学的に示すことが出来ます。でも、どんなに科学が進歩しようが、過去にどの目が出たのか、どんなにたくさん記録しようが、次に出る目が何かを正確に予測することは不可能なのです。どのような予測をしても、当たる確率は六分の一で、外れる確率は六分の五にならざるを得ないのです。

 日本では、毎年、5000~6000名が交通事故でお亡くなりになっています。約二万人に一人の割合です。統計学的には間違っていないと思います。しかし、貴方がこれからの一年間で、交通事故に遭う確率は、貴方の行動によって決まるのです。日本人全体を対象とした統計学的な数字に、ほとんど意味がないのは容易に理解できると思います。
 日本全体で、年間の交通事故死者数の予測が出来るというのと、貴方が交通事故で死ぬかどうかというのは、まったく別な話だからです。

 よく、一般的な統計の数字でわかったような話をする人がいますが、何万人、何十万人にひとりという発症率の低さをいくら言われても、その病気を実際に発症した人にとっては何の意味もないのです(原発事故以後、放射線や放射性物質による内部被曝の影響を議論する際に、この程度なら、何十万人に一人が癌になる程度なので問題ないという人がいます。でも、実際に癌になった人に、そんなことを言えば、刺されても仕方がないと私は思いますが…)。

 また、日本人男性の平均寿命が八十歳になったという報道があっても、それはあくまで統計学上の数字にすぎません。貴方や私が、八十歳まで生きられるという保証は何も無いのです。

 そういう意味では、科学が無力なのだという事は解っていただけると思いますが…

(by 心如)

・・・

【おまけ】

◎親子の会話
 父親と息子が話をしていた。
息子 「お父さん、酔っ払うってどういう感じなの?」
父親 「そうだな、そこにコップが二つあるだろう? それが四つに見えたら、それが酔っ払っているということだ」
息子 「なるほど、でも、お父さん、コップは一つしかないけれど?」

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コメント 4

shira

 サイコロの実験を実際に授業でやる先生の話を聞いたことがあります。実際に1時間かけて100回以上サイコロを振って、それぞれの目がほぼ6分の1ずつ出ることを観測させるんです。結論は分かり切っているのですが、途中までは確率がバラけていて、それが回数が進んでキレイに揃って行く過程で「本当に予測通りだ」と実感できるのだそうです。こういうのはいい授業だと思います(今はこういう余裕が学校にないのですけど)。
 もちろん、そこまでやっても、次にサイコロを振った時に何が出るのかは予想できないのです。
by shira (2011-12-06 22:51) 

心如

shiraさん、コメントを頂きありがとうございます
 よくどこそこの宝くじ売り場で一等が出た。あそこは当たる確率が高いと言う人がいます。
 私はへそ曲がりなので、そこで当たりが出たのなら、次は他の売り場から出る可能性が高いと思わないか? と尋ねます。
 するとしばらく考えて、前回、当たりが出たかどうかと、今回、当たりが出るかどうかは関係ない、という返事がもどってきたら、その人は頭が良いなと思います ^^;
by 心如 (2011-12-06 23:07) 

やすとみ

↑そうなんです。
「この売り場から1等出ました」てよく店でありますけど
無意味やなぁってずっと前から思ってました(^_^)。
by やすとみ (2011-12-06 23:20) 

心如

やすとみさん、コメントを頂きありがとうございます
 一等、前後賞合わせて三億円なのです。欲しくないと言えば嘘になりますが、当たる確率をよくする方法なんて無いのです ^^;
by 心如 (2011-12-07 00:03) 

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