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科学と宗教の違いは? [科学]

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 科学教の信者になっていませんか?


 世の中には、科学的に正しいかどうかということが最も重要だと考える人がいます。価値判断の基準が科学的な正しさなのです。そういう方は、宗教や道徳的な価値判断を馬鹿にする傾向が強いのも困ったものです。
 私に言わせれば、宗教(神様)を崇拝しようが、科学を崇拝しようが、それ自体は本人の自由なのです。でも、その考え方を、私に押し付けないで下さいとなります…^^;

 科学と宗教は違うと、科学教の信者は信じています。でも、科学と宗教は、人間の営為の一部であるという点において、大した違いはないのです。

 俗世間で普通に暮らしていると、何かをするときに科学的に正しいかどうかなんて一々考えません。同様に、宗教的に許されるかどうかも余り考えないと思います。
 朝、顔を洗うとか、食事の後で歯を磨く人は多いと思います。こういう日常の行為を、一々科学的に正しいかどうかで判断するでしょうか? それとも宗教上の戒律に従って行うのでしょうか? 普通の人は、子どものころに親の躾によって、そうするのが習慣になっているだけの話だと思います。つまり、世間の常識に従っているだけの場合が多いのです。

 もちろん、日本には日本人だけで通用する世間の常識がありますし、アメリカにはアメリカ人だけに通用する世間の常識があるかも知れません。「郷に入っては郷に従え(人は住んでいる土地の風俗・習慣に従うのが処世の法である)」と、昔から言われているのは、ご存じの方が多いと思います。

 科学や宗教は、人間の風俗・習慣(営為)のごく一部でしかないのです。その一部に過ぎないものを崇拝し、他の風俗・習慣を馬鹿にするのは、科学教信者の悪い癖です。

 科学とは、「体系的であり、経験的に実証可能な知識」のことです。体系的(組織的。統一的。システマチック)な知識という点においては、宗教と科学はあまり違いがありません。科学と宗教の大きな違いは、経験的に実証可能かどうかという点にあるのです。
 神様が存在するかどうかは、経験的に証明することは不可能です。教祖が、神の啓示を受けたと主張し、他の信者にはそれがない場合、だからこそ教祖は偉いのだ。貴方も信仰をもっと深めなさいと言われてしまえばそれまでです。

 科学の場合、ある科学理論が正しいかどうかは、観測された事実に適合するかどうかで判断します。観測された事実ともっともよく適合する理論が一番真実に近いという評価を受けるのです。科学は、客観性と再現性という面を重視するので、宗教とは考え方が違うというのは事実です。
 ところが、観測技術が未発達な時代に、どんなに正しいと思われた科学理論も、観測技術が発達し、精密な観測データが得られるようになると、間違っていたという話になることは沢山あるのです。科学とは、いま現在の知見で判断すると、こう考えるのが一番妥当だというだけのモノなのです。そういう事実を見ると、「所詮、科学なんて解ったつもりの錯覚にすぎない」という考え方もあるのです。

 その典型が、天動説と地動説です。「朝、東から太陽が昇り、夕方、西に太陽が沈む」、これは世間の常識です。肉眼という観測手段しか持たない時代の人類から見れば、天動説は観測される事実にもっとも適合する理論だったのです。
 ところが、望遠鏡が発明され、月や惑星の動きを詳しく観測し、遠くの星の位置を詳しく調べていくうちに、地球は自転しながら太陽の周りを公転していると考えるのがもっとも妥当だということになりました。望遠鏡という観測技術の発達が、より精密な観測データを提供し、科学を進歩させたというわけです。
 これと似たようなことは、顕微鏡についても言えると思います。観測技術の進歩が、新たな観測データをもたらして、科学を進歩させてきたのです。

 では、いま現在の人類が、この宇宙のことをどこまで知悉しているのでしょうか?

 よく分らないと言うのが一番正直な答えではないかと私は思います。

 いま現在、どんなことがどこまでわかっているのかすら把握できません。あまりに膨大な観測データと、それをもとに提案された膨大な仮説があるのです。そのすべてを一人で把握できる人間はこの世にはいないと思います。
 そして、次々と新しい観測方法が発明され、既存の観測技術が改良され続けているのです。それらを使って、新たにどんな観測データが得られるか、そのすべてを予測するのは不可能なのです。

 科学と技術が進歩したら、今まで解らなかったことが解るようになると期待するのは当然だろうと思います。でも、それは、いま現在の科学ではまだよく解らないことが沢山あるし、天動説のように、その時点で、誰が考えても正しいと思われていることが、新たな観測手段が与えられたら、実は正しくなかったという場合があることを意味します。
 いま現在の人間から見ると迷信でしかないものも、その時点で観測された事実に基づいて考えると妥当だったのです。それが、科学という知識体系の本質ではないかと思います。

 科学的な正しさを唯一絶対の価値判断だと考える科学の崇拝者は、科学のこのような本質を知らない(あるいは忘れている)のだろうと思います。

 普通に社会で暮らしている人間にとっては、科学的に正しいかどうかとか、宗教上の戒律にあっているかどうかよりも、世間の常識(風俗・習慣)のほうが大切なのではないかと思います。

 そして一番大切なのは、「人間には間違ったことを言う自由がある」ということです。

 他人の意見を、いま現在の科学的な知識で判断すると間違っているという理由で非難し、発言を封じる権利は誰にもないのです。

 大陸移動説を提出したウェーゲナーに対し、その当時のアメリカ地質学会の大物の一人は、「大陸が安易に動くなどという考えが許されるならば、われわれの過去数十年の研究はどうなるのか?」といって反対したそうです。しかし、いま現在、プレートテクトニクスは科学的に正しいとされているのです。

 科学的な正しさなんて、それほど当てになるものではないのです。古い知識で考えると間違っていると思うことでも、新しい知識で考えると妥当だと考えることが科学の進歩なのです。そのためには、一見間違ったことでも発言する自由が必要なのです。

 科学教の信者は、自分の科学的な知識が絶対であり、他人の発言をよく吟味しないで、それは間違っていると決め付ける場合が多々あります(自分にもそういう傾向がないとは言えませんが…)。言論の自由がなければ、科学の進歩もあり得ませんから、お互いに気を付けたいものです。

 科学教の信者も、宗教の信者も、共産主義者、自由主義者、etc.、みんな自分の教義(信じていること)に反する意見には耳を貸さないという傾向が何故か共通しているのです。これは、何を信じていようが、人間本来の特性なのかも知れません。
 これを、『バカの壁』と称した人もいたような…

(by 心如)


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BPノスタルジックカーショー

おはようございます。

人間には間違ったことを言う自由がある・・・・・いい言葉ですね。
by BPノスタルジックカーショー (2012-01-29 06:03) 

心如

BPノスタルジックカーショーさん、コメントを頂き有り難うございます
 何が正しいのかなんて、そう簡単には判らないのです。他の人からみて間違いだと思われることも、本人は正しいと思っているのです。言論の自由と社会の発展のためには、「間違ったことを言う自由」が必要になると思います…^^;
by 心如 (2012-01-29 07:05) 

旅爺さん

今朝はー9度の寒さで顔も洗わない爺は無宗教です。

by 旅爺さん (2012-01-29 08:27) 

心如

旅爺さん、コメントを頂き有り難うございます
 顔なんて洗わなくても死にはしません…^^;
by 心如 (2012-01-29 08:38) 

taro-u

宗教はどこまで行っても宗教です。ある意味個人が生きていく為の後ろ盾になってくれそうです。しかし生きていくのにもっと大切なものは道徳ではないでしょうか。人は生きていくために一人ひとりみんな考えが違うそんな集団の中で協力していくしかありません、そんな時に必要なのは道徳では。(日本だけでしょうか?)
by taro-u (2012-01-29 18:31) 

心如

taro-uさん、コメントを頂き有り難うございます
 そうですね。道徳も大切だと思います。
 私は、道徳的な価値観も含んだ常識(common sense)が大切なのだと思っています。宗教的な常識、科学的な常識、道徳的な常識、社会的な常識、一概に常識と言ってもいろんな常識が合わさって世間の常識(common sense)が形成されているのだと思います。
 だから、いくら優秀な科学者であっても、世間の常識に反したら、単なる変人か、下手をすると犯罪者になってしまうのです(山口大学工学部の教授の不正経理事件はつい最近のことです)。
by 心如 (2012-01-29 19:39) 

shira

 自然科学の大半は実験や観察で実証することが可能なのですけど、人文科学・社会科学と、一部の自然科学は実験も観察もできないため、ひたすら論理性と説明力を磨くことになります。私自身、大学で言語理論を学んだ時にこのへんをかなり叩き込まれまして、それ以来、科学的な姿勢というのは、とにかく断定を嫌うものなのだということは理解しています。
by shira (2012-01-29 21:29) 

心如

shiraさん、コメントを頂き有り難うございます
 最近見たテレビ番組で、目で見たものと脳に記憶されたものが一致しないと、人間はものを見ることが出来ないというのを放送していました。
 つまり、人間の脳は、目(網膜)に映ったものの中から、認識できるものしか見ていないようです。反対に、夢や幻覚のように、目には見えていないものを、脳は見ることがあるのです。
 科学が進歩したと言っても、自分たち人間のことですら、まだよく解っていないことが沢山あるのだと思わざるを得ません。その程度の科学的な正しさを、唯一絶対の価値判断の基準だと思っている人が多いのには困ります。
by 心如 (2012-01-29 22:09) 

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