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『君が代』に反対するのは自由だが、方法がおかしいと思う [教育]

ssh502 社説の読み方〜君が代訴訟最高裁判決編
 学校現場の日々のどんな教育活動をも差し置いて、チョー強力な話題となる約1時間の行事。それが卒業式。
 話題の中心は学校でも生徒でも保護者でも来賓でもなく、40秒弱の国歌斉唱。この40秒間の行動だけで処分までされてしまうのが日本のピョンヤン、東京都。
 1月16日に最高裁で、その東京都の処分に関する判決が出ました。内容はご存知の通り、戒告は妥当だが、減給や停職などの重い処分はやり過ぎ。
 この件については、珍しく日経クンまで社説展開してくれました。ssh的には大変ありがたい展開です。では社説の読み方と行きましょう。まずは朝日クン。
◆◆君が代判決―行き過ぎ処分に歯止め 卒業式や入学式のシーズンを前に、最高裁から注目すべき判決が言い渡された。 「式では日の丸に向かって立ち、君が代を歌うように」。そんな校長命令に従わなかった東京都の教職員への処分が、妥当かどうかが争われた裁判だ。 結論はこうだった。 規律や秩序を保つために、戒告処分はやむをえない。それをこえて減給や停職とするには、慎重な考慮が必要だ。式典を妨害したなどの事情がないのに、命令違反をくり返したというだけで、こうした重い処分を科すのは違法である――。 日の丸・君が代は戦前の軍国主義と深い関係があり、その評価は一人ひとりの歴史観や世界観に結びつく。 最高裁は、昨年の判決で「起立や斉唱を命じても、憲法が保障する思想・良心の自由に反しないが、間接的な制約となる面がある」と述べ、学校側に抑制的な対応を求めた。今回の判決はその延長線上にある。 私たちは、日の丸を掲げ、君が代を歌うことに反対しない。だが処分してまで強制するのは行きすぎだと唱えてきた。 その意味で、戒告が認められたことへの疑問は残るが、最高裁が減給・停職という重大な不利益処分に歯止めをかけたことは、大きな意義がある。 教育行政にかかわる人、なかでも橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会のメンバーは、判決をじっくり読んでほしい。 維新の会は大阪府と大阪市で「命令に2度違反で停職」「研修を受けたうえで3度目の違反をしたら免職」という条例の制定を打ち出していた。 違反に至った背景や個別の事情には目を向けず、機械的に処分を重くしていくもので、今回の判決の趣旨に照らして違法になるのは明らかだ。 さすがに橋下市長と松井一郎知事は見直す考えを示した。だがそれは、停職処分とする前にも研修の機会を設けるという案で、問題の本質を理解した対応とはとても言えない。 選挙で圧勝した2人には、民意の支持という自信があるのだろう。もちろん民意は大切だ。 しかし、精神の自由に関する問題を、多数派の意向や思惑で押しきってはならない。それは歴史の教訓であり、近代民主主義を支える精神である。 自分とは異なる意見の存在を受け止め、心の内にはむやみに踏み込まない。そうした寛容な土壌のうえに、しなやかで、実は力強い社会が生まれる。 判決の根底に流れるこの考えをしっかりと受け止めたい。◆◆
 朝日クンは一貫して、国旗国歌そのものは否定しないが、教育現場への強制は反対というスタンスです。これは教職員組合の主張と一致しています(日教組が国旗国歌を否定していると怒る人がいますけど、それは間違いです。彼らの主張は朝日クンとぴったり同じ)。
 ということで、朝日クンは減給・停職に歯止めをかけたことを高く評価しています。一方、戒告をOKとしたのは疑問が残ると。これは朝日クンのスタンスからすればごく自然なレスポンスですね。大阪の状況に触れているのも、タイミングからして当然でしょう。
 というわけで、ほとんど予想通りの社説です。
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※ shira氏のブログから記事を引用させて頂きました。各新聞の社説に興味がある方は、引用元でお読みくだされば幸いです。

 
今回、この記事を書くのは、他人のブログのコメント蘭に、その記事に直接関係のない長文のコメントを書き込むのは失礼だと判断したからです。

 また、所詮は、駄目オヤジの個人的な意見なので、読んでためになるという期待はしないでください。


 それでは、問題は何かを整理してみたいと思います。

 まず、『君が代』は法律によって、日本の国歌に制定されていると思います。

―――――
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO127.html
国旗及び国歌に関する法律
(平成十一年八月十三日法律第百二十七号)

(国旗)
第一条 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。

(国歌)
第二条 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。

   附 則

(施行期日)
1 この法律は、公布の日から施行する。
(商船規則の廃止)
2 商船規則(明治三年太政官布告第五十七号)は、廃止する。
(日章旗の制式の特例)
3 日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわらず、寸法の割合について縦を横の十分の七とし、かつ、日章の中心の位置について旗の中心から旗竿側に横の長さの百分の一偏した位置とすることができる。

別記第一
 (第一条関係)
  日章旗の制式
日章旗の制式.jpg
一 寸法の割合及び日章の位置
 縦 横の三分の二
 日章 直径 縦の五分の三
 中心 旗の中心

二 彩色
 地 白色
 日章 紅色

別記第二
 (第二条関係)
  君が代の歌詞及び楽曲

一 歌詞
    君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで

二 楽曲
楽曲 君が代.jpg
―――――
 しかし、こんな味も素っ気もない法律は珍しいと思います。この法律の条文には、この法律をなぜ定めるかという目的が書かれていません。普通、法律の条文には、その法律を制定する目的が書かれていると思いますが…


 君が代に反対する方は、日本に国歌は要らないという考えでしょうか?
 日本に国歌は要らないというのであれば、いかなる歌であっても反対という話なので、国旗及び国歌に関する法律を廃止するように国会議員を通じて運動すべきだと思います。
 ただ、それが実現する可能性は極めて低いことは分ると思います。

 次に、日本に国歌はあっても良いが、君が代は反対だという考えでしょうか?
 君が代はなんらかの理由で嫌だけど、他の歌なら反対しないというのであれば、国歌に相応しい歌を用意して、その歌に変更する運動をすべきだと思います。
 これは、国民の大半が、君が代よりも国歌に相応しいと認めてくれる歌を用意すれば、可能性があると思います。単に、君が代は嫌だと言うよりも、説得力があると思います。

 国歌は君が代で構わないが、卒業式や入学式で国歌斉唱をするのが嫌だというのでしょうか?
 この場合のやり方としては、職員会議などの場で、卒業式や入学式の式次第に、国歌斉唱を入れないように提案し、過半数の教師の賛成を取り付ければよいと思います。校長や教頭が、式次第に国歌斉唱を入れるべきだと言っても、過半数の教師が国歌斉唱に反対したら、検討してもらえるのではないかと思います。国歌斉唱を強制されるのであれば、過半数の教師が卒業式に出ないと本気で言えば、混乱を嫌う校長や教頭は折れるしかないと思います。
 自分の意見を通すためには、過半数の賛同を集めること(多数派工作)こそが、民主的な方法なのです。そういう現実的な手法がとれないとしたら、教師としては如何なものかと思います。

 そして、私の目から見て一番最悪なのは、過半数の賛同を集めることができず、事前にきちんとした話し合いもせず、当日になって突然ピアノの伴奏を拒否したり、国歌斉唱を妨害するような行為を行うことです。
 これでは、教師が民主主義のルールを守る必要もないし、自分たちの恣意的な主義主張を通すために、公の秩序を破壊しても構わないと、身をもって生徒に教えていることになるのです。

 その行為に対する処罰を受けると、憲法に謳われた良心の自由なんて高尚なことを持ち出すのは、さらに胡散臭いのです。誰も、別に君が代を好きになれとは言っていないのですから…
 民主主義のルールと、公の秩序は、個人の恣意的な判断よりも優先する場合があるのです。教師という、人にものを教える職業にあるものが、そんな簡単なことを理解できないとしたら、そのほうが問題だと私は思うのです。

 最後に、私個人としては天皇制は不要だと思います。天皇を崇拝する人が、天皇家を維持する費用を負担すべきで、特定の家族を国民の税金を使って養う理由は無いと思っています。
 そういう考え方なので、『君が代』という天皇を称えるような歌を歌いたいとは思っていません。主権在民という建前からすれば、国民を称える歌を国歌にすれば良いのです。
 だからと言って、卒業式の当日に、式を混乱させるような行動はとるべきではありません。事前に、きちんと話し合うべきだというのが私の考えなのです。その場合、自分の意見を通すためには、多数派工作が重要なのは言うまでもありません。

(by 心如)


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コメント 6

shira

 記事を紹介していただいてありがとうございます。
 とても理路整然としていて納得なんですが、こと学校現場での扱いに関しては、職員会議での過半数の賛同というのはまったく無力です。職員会議は法的にも議決機関ではないので、たとえ全職員が反対したとしても、校長が「やる」と言えばそれがすべてです。実際にずいぶんと話し合って職員側はみんなやめようと言っているのに校長が「やる」と言って強行するという形で国旗国歌が導入されたケースが、もともと国旗掲揚国歌斉唱がポピュラーじゃなかった地区ではよく起きていました。教職員組合が「押し付け反対」と主張するのは、主にそういう話し合いも何も無視されたという経緯によるもののようです。
by shira (2012-01-30 20:46) 

心如

shiraさん、コメントを頂き有り難うございます

 教育委員会や校長、教頭が、国歌斉唱を強制するのなら、過半数の教員が卒業式に参加しないと、本気で言ったのかどうかが気になります。

 教師生命を掛ける覚悟で本気で言ったのか? 口先だけで言ったのでは効果は期待できません。校長や教頭という管理職は、その辺を見極めるプロなのですから…

 憲法に謳われている「良心の自由」を侵害されたというのは、処分を逃れるための方便なのでしょうか?
 一所懸命に守るべき大切なものだという信念はあるのでしょうか?

 そういう必死さがないのに、単なるファッションで君が代に反対しているのであれば、学校や社会を動かすなんて端から無理だと思います。そういう単なるパフォーマンスに振り回される子ども達が可哀想だと思います。
 「良心の自由」というものは、一所懸命になる値打ちのないものではないと思うのですが。
by 心如 (2012-01-30 21:59) 

figaro

国旗掲揚と国歌斉唱が普通に行われた時代に義務教育を受けていた
年代なので、この“拒否”する感覚がイマイチ分かりませんが、
処分されるというのはちょっと行き過ぎとは思います。
小学生の頃の祝日は、我が家もご近所も自宅に国旗立ててました。
私は兄とどっちがたてるかで争ってた記憶が少しあります。
親が右よりの思想があったわけでもないのですが^^;
軍国主義を持ち出す人は、他国で日本国旗が燃やされても
何も感じないのか、仕方ないと思うのか、考えてしまいます。
by figaro (2012-01-31 00:47) 

心如

figaroさん、コメントを頂きありがとうございます
 個人的に、君が代が嫌いだとか、天皇制に反対だと言うのは、まさしく思想及び良心の自由の問題なので、国や他人が立ち入る問題ではないと思います。公務員だからと言って、国家に忠誠を誓えとまでは言いません。
 でも、個人的な好みを公の場に持ち込んで、上司の業務上の指示・命令に背くのであれば、クビになる覚悟も必要だと私は思います。
 自分の恣意的な欲求を押し通すには、それ相応のリスクがあるというのは当然だと思わないのが私には不思議なのです。
by 心如 (2012-01-31 01:00) 

タカシ

こんばんは
「君が代」を斉唱したのは、自衛隊に入ったとき。
小学校、中学校、高校、大学と君が代が流れたことが
なかったです。君が代は、タブーだったのかもしれません。
学生時代は、気付きませんでしたが^^;

世界各国では、国歌が流れた時には敬意をあらわす意味で
気を付けの姿勢をとります。メジャーリーグなどで国歌斉唱しているときに
観客も胸に手を当てているのを見たことがあると思います。
これは、自分の国以外の国歌でも同じです。

君が代が、良い悪いという議論よりこういった世界常識を
知ること、教えることが必要だと思います。
ちなみに、海外青年協力隊で派遣された隊員が派遣国の国歌斉唱
中に作業していて捕まったという話があります。

君が代、日の丸よりも大事なことを教えてほしいです。


by タカシ (2012-01-31 20:57) 

心如

タカシさん、コメントを頂き有り難うございます
 そうですね。国歌斉唱の際に起立できない理由はなんでしょうか?
 出来るけどしたくないと言うのであれば、生徒に勉強しろと言う資格はないと思います。勉強したい生徒なんてそんなにはいないのだから。
by 心如 (2012-01-31 21:21) 

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