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『科学教の迷信』(池田清彦)~社会生物学~ [雑感]

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『科学教の迷信』(池田清彦)


自然選択による進化論を支えているのは実証ではなく生活実感


 社会生物学者のエッセイには、生物界は生存競争で満ち満ちていることしか書いてないが、すべての男を無視すれば、世界には女しかおらず、まともな女をすべて無視すれば、世界にはヘンタイの女しかおらず、そのことだけで頭がいっぱいの人は、世界はヘンタイ女で満ち満ちているという言明に十分すぎるリアリティーを感ずることができるはずだ。
 多くの人々が、競争原理に基づく、自然選択説という進化論に共感するのは、産業革命以後に確立された資本主義下の競争原理の下で、毎日あくせく働いているからに違いない。このように考えると、社会生物学の原理によって、人間の様々な行動を解釈すると銘うった、巷に流行る幾多の俗悪本は、倒錯の倒錯とでも言うべき循環論法に陥っていることがわかるだろう。
 生物の様々な変異のうち、ダメな変異は淘汰されて滅び、有利で役に立つ変異は世界を席巻していく、という自然選択による進化論は、実証によって確立されているわけではなく、我々自身の競争原理社会の代表選手たる進化生物学者の生活実感によって支えられている。
 自然選択説を人間社会に適用しようとする社会生物学者は、普通の人々がこのカラクリに無知なのをいいことに、次のように宣言するのだ。すなわち社会生物学の基本理論である自然選択説は、生物の進化を説明する原理である。人間もまた生物の一種である限り、この原理に従っているに違いない。したがって人間の行動もこの原理によって説明できるはずである。
 そして、社会生物学的なお話を聞かされた人々は、「浮気は自然選択の結果である」なんて話に妙に納得してしまったりするわけである。読者にはすでに充分おわかりのように、しかし、社会生物学的なお話が人間の行動に一見整合的に見えるのは、人間もまた生物の一種であるといった大層な理由からではけっしてない。それは、社会生物学の基本原理である自然選択説という理屈の真のモデルが、生物そのものではなく、実は競争原理に基づく現代人の行動パタンにあるからに他ならない。
 だから、社会生物学による人間の行動解析とは、人間の行動パタンの進化を、現代人の行動パタンによって説明するといった循環論の一種なのである。多くの人がリアリティーを感じ、だまされてしまうのも無理からぬことではある。
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 社会生物学というのは、最近はあまり見聞きしません。でも、一時は結構流行っていたと思います。専門的な知識のないものは、学者先生のいうことを鵜呑みにする傾向があるのも事実です。もっともらしい話を疑う人はあまり居ませんからね。、、


(by 心如)


科学教の迷信

科学教の迷信

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 1996/05
  • メディア: 単行本

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