SSブログ

温暖化よりも危ないこと [雑感]

そこは自分で考えてくれ

そこは自分で考えてくれ

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2009/03/12
  • メディア: 単行本


―――――
(P177より引用)

 温暖化よりも危ないこと

 2008年7月10日付の東京新聞に、「東北は熱帯だった!?」というニュースが載っていた。山形大の山野井教授のグループが、岩手県一戸町の1600万年前の地層から、マングローブの花粉化石を発見し、当時ここは熱帯で、冬期の気温が今より少なくとも11℃高かったことを突き止めたというのだ。1600万年前と言えば、新生代第三紀中新世の頃だから比較的最近である。当然のことだけれども、地球の温度は上がったり下がったりしている。人類は存在しなかったわけだから、遠い過去の気温の変動は自然の原因でのみ起こったわけだ。
 現在、人為的な地球温暖化により(私は余り信用してないけれど)大変なことが起こると喧伝されており、そのうちの一つは野生動植物が大量に絶滅する、というお話なのだが、気温が百年に二、三℃上昇した所で、そのことが原因で生物が絶滅するわけがないと私は思う。
 現在、流行っている主流の適応論によれば、生物は環境に適応すべく徐々に進化するということである。すなわち環境が暑くなれば、突然変異と自然選択によって徐々に暑さに適応した種に変化し、寒くなれば徐々に寒さに適応したものに進化するというわけだ。しかし、現実の生物はそんな悠長なことはしていないんではないか、と私は思う。暑くなったら涼しい所へ移動し、寒くなったら暖かい所へ移動するに違いない。
 マングローブの日本における現在の北限は鹿児島市だそうだ。温暖化が進めば北限が上がっていくだろうし、寒冷化が進めば北限は下がっていくだろう。個体としての植物には移動能力はないけれども、種子や胞子の移動能力は高く、気候変動に合わせて生息域を変えていくに違いない。ましてや動物は高い移動能力を有しているわけで、気候が変動すれば、棲み易い所に移動するに決まっている。
 人為的温暖化により生物の絶滅が起こると主張する人たちは、1600万年もあれば、生物は環境に適応できるだろうが、百年で気温が数℃上昇したら、適応するのは困難だと言うに違いないが、それは生物の移動能力を無視した考えなのだ。南極では南極半島は温暖化しているのに対し、半島以外部分は寒冷化しているという。南極に棲む何種かのペンギンのうち、アデリーペンギンは流氷のある海を好み、ヒゲペンギンは氷のない海を好む。半島部ではアデリーペンギンは減少し、より内部のロス海ではヒゲペンギンが減少しているようだ。ここだけ見れば、気候変動は動物を絶滅に追いやっているかのように見えるが、ペンギンたちは自分たちの好みの土地へどんどん移住しており全体の個体数は減ってはいない。生物達は多少の気候変動で絶滅するほどヤワではないのだ。

 マスコミは、地球温暖化でホッキョクグマが絶滅するといったお話がことのほかお好きなようだけど、ビョルン・ロンボルグの最近の本『地球と一緒に頭も冷やせ!』(山形浩生訳、ソフトバンク クリエイティブ)によると、世界のホッキョクグマの個体数は1960年代には5000頭だったものが、現在は25,000頭に増えたという。もっともそれは温暖化には関係なく、ホッキョクグマ猟が規制されたせいらしい。最近、数が減少している個体群は過去五十年で寒冷化している地域にいて、温暖化している地域では個体数は増加しているという。巷で流行っている話はいったいどうなっているんだろうね。
 最近、古代ホッキョクグマのアゴの骨が十一万年ー十三万年前の堆積物から見つかったという。この頃はエーミアン間氷期という現代よりも暖かい時代で、ホッキョクグマはその時代を生き抜いたわけだから、少々温暖化しても問題はないだろう。そもそもつい五千年程前はヒプシサーマル期(日本では縄文時代)といって、現在より三、四℃気温が高かったわけで、ホッキョクグマはこの時代をどうやって生きていたのだろうか。ホッキョクグマはヒグマからつい最近(恐らく十五万年程前)分岐して生じた種であることがわかっている。本来はヒグマのように川を遡ってくるサケ・マスを食べていたのかもしれない。現在見られるようなアザラシを捕食する行動だって、遺伝的に刷り込まれているわけではないだろうから、温暖化したらそれに見合って食性を変えるに違いない。
 気候が変動して住居を変えたり、食性を変えたりするのは、クマだけでなく人類も同じだ。青森県に三内丸山という縄文時代の遺跡がある。5500年前から4000年前のものだ。1500年も継続したこの集落を支えたのはクリの栽培である。ヒプシサーマル期の終焉と共に気温が下がり、クリが育たなくなり、この集落は崩壊したと考えられている。餓死した人ともいたかもしれないが、多くは食物を求めて移住したと思われる。
 温暖化は良くないことのように言われているが、この例でもわかるように、生物にとっては温暖化よりも寒冷化の方がはるかに厳しいのである。

 昔の人類の暮らしはそれほどよくわかっているわけではないが、文書が発明されてからは、温暖化や寒冷化の記録が残っている。紀元前750-前200年頃は少々寒かったようで、エジプトの古文書にはナイル川の恵み豊かな氾濫が減少したことが記されているという。寒冷化すると雨量が減るのである。この時期が過ぎると、地球は温暖化に向かい、人々の暮らしはずっと楽になったに違いない。これはローマ温暖期と呼ばれ、紀元600年頃まで続いていたらしい。中央アジアではこの時期人口が大きく増えたという。
 このあとも気候は寒冷化と温暖化を周期的に繰り返し、人々はそれに合わせて好ましい土地に移住を試み、その結果、民族間の紛争が引き起こされたのは周知のことであろう。紀元900-1300年にかけての中世温暖期とその後に迎えた小氷期については沢山の記録が残っている。
 古代スカンジナビア人がグリーンランドを植民地にしたのは中世温暖期である。入植者たちは暖かくなった海で魚やアザラシを獲り、緑の大地に牛や羊を放牧して生活をした。グリーンランドという名はそこから由来しているという。温暖化は今まで人が住めなかった所にまで住めるようになるので人口増の要因になるのだ。この頃はまたイギリス南部でブドウの栽培が盛んだったという。現在ではこの地域は寒すぎてブドウ栽培には適していない。単純に言えば、温暖化により耕地面積は牧草地が拡大して食糧生産は増大したのである。
 地球温暖化の危機を煽る人々の中には、温暖化が進むと食糧危機が起こると主張する人がいるが、合理的に考えれば、温暖化は食糧増産に結びつくに決まっている。光合成の速度、すなわち植物がデンプンを合成する速度は、温度とCO2濃度が高く、利用できる水の量が多ければ増大するのである。もちろん、気温が50℃とか60℃とかべらぼうに高くなれば植物本体が枯れてしまうので問題だが、温度が数℃高くなり、CO2の濃度が倍になれば、光合成は盛んになるに決まっている。だから、世界人口が増えずに温暖化だけが進めば、一人当たりの食糧は増大し、人類は総体として見れば飢えの恐怖から開放されるはずだ。
 残念ながら、歴史が教える所によれば、食糧が増えれば人口も増える。野生動物の個体数についての生態学の教えもまた、個体数はキャリング・キャパシティー(収容力、利用できる資源により決まる)により決定される。互いに余裕を持って生きられるようにはできていないのだ。歴史の教えと生態学の教えが重なるということは、人口もまた野生動物と同じ原理に従って増減していることを示している。
 実際ヨーロッパの人口は中世の温暖期に約五割増加したのだ。しかし十三世紀に入ると、世界は徐々に寒冷化してゆく。まずグリーンランドに氷河が拡がりはじめ、中世温暖期に入植した人々の子孫は撤退を余儀なくされる。食糧生産高は減少して多くの人が飢えに直面するようになった。小氷期は十九世紀の半ばまで続き、特に厳しかった十七世紀の後半には食糧不足によっり多くの人が死んだ。
 人々はこれらの飢饉を魔女のせいにした。1500年から1700年の間にヨーロッパ全土で50万人の女の人が魔女として処刑されたと言われている。スイスのベルンだけでも1580-1620年のたった40年間で1000人以上の人が魔女として火あぶりにされた。寒冷化は温暖化よりよほど災難なのだ。
 十九世紀の半ばになり、地球は寒冷期をやっと抜け出して、気温が徐々に上昇をはじめる丁度そのころから、化石燃料をエネルギーとして利用できるようになってきた。そでまで、人類は温暖化すれば繁栄し、寒冷化すれば飢餓に直面してきたわけだが、化石燃料を使うことにより、温暖化や寒冷化とは独立に繁栄することができるようになった。その結果、二十世紀初頭に16.5億人だった人口は、現在68億人まで増加した。
 化石燃料の使用によりキャリング・キャパシティーが増大したためだ。人口は基本的には食物の量に依存している。石油や石炭は食糧ではないから、それがどのようにして人口増に結びつくか、不思議に思う人がいるかもしれない。たとえば農業を考えてみよう。先に述べたように、植物の生育は、CO2の濃度と温度と水により決定されるので、温暖化すれば作物の収量は増える。それと同時に、チッ素、リン酸、カリといった無機栄養物が豊富ならば、さらに立派に育つ。石油を使えばこれらの肥料特にチッ素肥料を大量に作ることができるので、作物の収量を飛躍的に増やすことができる。実際この百年で生態系の中に流通するチッ素の量は二倍に増えたのである。
 化石燃料の使用により、輸送手段が発達すれば、生産した食糧を遠くまで容易に運ぶことができる。輸送手段がなければ、巨大都市は存在できない。食糧が足りなくなるからだ。人が余り住んでいない遠くの生産地から容易に食糧を運搬できるようになって、はじめて巨大都市は発達する。化石燃料の使用と人口増は強い相関があるのだ。
 これは漁業も同じだ。エネルギーを使って遠洋まで魚獲りに行くことができるようになって漁獲高は増大した。日本では近頃、原油高騰のあおりを受けて、漁船の操業停止が相次いだが、エネルギーが尽きてしまえば、操業停止どころではなく、漁業そのものが成り立たなくなってしまう。世間は相変らず、温暖化対策を急がなければ、大変だ大変だと騒いでいるが、デイヴィッド・ストローン『地球最後のオイルショック』(高遠裕子訳、新潮選書)によれば、石油はあと十年でピーク・アウトに達するとのことだ。石油が尽きてしまえば、食糧の大減産は必至なのである。

 ああそれなのに、日本は政府・自民党も対抗勢力の民主党も脱炭素社会の実現を、などとアホなことを叫んでいるだけで、来るべきエネルギー不足にいかに対処するかというグランド・プランは何もない。先ごろ、私の勤務する早稲田大学の学生政治サークル・鵬志会の主催で、自民党の片山さつきと民主党の福山哲郎に、私を混じえた三人で、温暖化問題に関するパネル・ディスカッションを行った。
 民主党の福山議員は、京都議定書よりももっと厳しいキャップ(排出量の上限)を定めて、排出量取引を進めなければ、CO2は削減できないとそればかり強調していた。膨大な金をかけても、ほんの数パーセントのCO2も削減できない京都議定書のさらに上をいく削減をするためには、いったいどれだけの金がかかるか、福山議員は考えたくないようであった。京都議定書を守ると称して、日本は毎年一兆円以上の税金を使っている。周知のように日本は、約束の6パーセント削減どころか、8パーセントも余計にCO2を排出している。総計、約束より14パーセント増である。2008年7月15日付の新聞には、政府はハンガリーに続いてウクライナからも排出権を買うと決定した、とごく小さい記事が出ていた。こういう話は国民に知らせたくないんだろうね。こうやって日本が京都議定書を守るために、恐らく10兆円近くの支出をしても、世界の百年後の温度を0.004℃しか下げられない(これはIPCCの予測が正しいとしての話であり、世界の温度はCO2以外の要因で上がるかもしれないし、下がるかもしれない。唯一正しいことは日本の努力はほとんど無に等しいことだ)。
 CO2削減原理教またの名を恐温暖化スポンジ脳症の人々は、こういうクールな話には全く耳を貸さず、ひたすら五十年後あるいは百年後の温暖化の恐怖を煽っている。五十年後、百年後に生きているとは思われない人たちが何を言ってもねえ。空念仏であることは間違いない。私だって、昨日、春学期最後のゼミがあって、学生たちに約束した。百年後に君たちに一億円ずつあげよう。学生たちはなぜか余りうれしくなさそうであった。ゼミのあとコンパがあって、コンパ代をほんの少し余分に支払ってあげたら、大喜びだったけどね。
 民主党が政権を取ったら、日本は終わってしまうのではないかと、私はこれはマジで心配しているのである。京都メカニズム(国家間の排出量取引)の破綻は今や誰の目にも明らかであり、だからこそ洞爺湖サミットでは2050年にCO2半減という話にしかならなかったのだ。2050年には福田もブッシュも墓の中だ。どんな約束をしても死人は責任は取らなくてよい。ブッシュはアメリカに帰ったあとすぐに、CO2削減は経済の減速をもたらすので無理にやる必要はないと声明を出した。日本でも今のままで、CO2を大幅に削減したら、税金は上がり、物価も上がり、収入は増えず、失業者はあふれ、エラいことになる。百年後の恐怖を回避すると称して(実際には回避できないのだけどね)、今、生きている人々を恐怖の底にたたき落とすような政策を遂行しようとするのは正気の沙汰とは思えない。しかし、不思議なことに、日本国民の多くは、こういった話に余り疑問を感じていないようだ。政府とマスコミの言論統制に関しては、日本は北朝鮮並みなのだ。ロンボルグの最近の本によれば、温暖化が心配だと考える人の割合は日本がダントツの世界最高で92パーセントなのだという。ちなみにアメリカは42パーセント。半分以上の人は温暖化など心配していない。ゴアがあれほど強烈なプロパガンダをやっても、大半の国民は眉に唾をつけているわけだ。そういう意味ではアメリカは日本よりもはるかに健全である。
 本当のことを言えば、地球温暖化などを心配しているのは完全洗脳されたおバカな日本人だけで、実は誰も心配などしていない。少し前に、日本、アメリカ、韓国などが雁首をそろえてサウジアラビアに、もっと石油を増産してくれないかとお願いしていた。それで、サウジは増産を約束し、各国は少しほっとしていたようだ。不思議な話じゃないか。石油を掘れば、掘った石油はいずれCO2になるのだ。CO2の増加をマジ心配しているなら、原油を減産してくれとお願いするのがスジではないか。その一方で、排出量取引をしてCO2を削減するのだと言う。これがペテンだと言うことは少し賢い小学生でもわかる。排出量取引というのは、キャップを決めれば、CO2の排出量が増えれば増えるほど、排出権を買わなければならない国や企業が増えて、トレーダーは儲かるのである。そのためには石油を使ってもらわなければ困る。そういうカラクリなのだ。
 しかし、そういうペテンも京都議定書で終わりだ。石油はピーク・アウトして、使いたくても使えなくなってしまうからだ。化石燃料がなくなってしまえばCO2は出したくても出せない。そのことに思い至れば、この期に及んで、CO2を地下に埋める技術の開発などに血道を上げているのはバカを通りこしてマンガである。CO2を地下に埋めるのだってエネルギーが必要だからCO2が出るのだ。日本が京都議定書を守りCO2を6パーセント削減しても、百年後の気温は0.004℃しか下げられない話はすでにした。たとえ100億円かけてCO2を少しばかり地下に埋めたとしても、百年後の気温降下に対する貢献度は、恐らく0.00001℃にもならないだろう。
 さて、どうしたらいいものだろう。一番の正解はもしかしたら何もせずに、今まで通りに石油を使っていることかもしれない。しかし人間という生物は、ジタバタしないと落ち着かない生き物のようだ。それで、石油がなくなる恐怖を忘れるために、地球温暖化大変だ、といって騒いでいるに違いない。しかし、どう考えても、それは生産的な考えとは言えない。CO2を減らしてもエネルギーは増えないからだ。石油がなくなったら大変なのは間違いないのだから、それに代わるエネルギー源を考えるのが、最もまともな生き方だろう。
 しかし、そんなうまいエネルギー源はないかもしれない、と書けば、太陽光、風力、地熱などのサステイナブルなエネルギーがあるではないか、との答えが返ってくるに違いない。確かに、これらのエネルギーはとりあえず無尽蔵なリソースである。しかし、これらのエネルギー源だけで、現在の世界人口68億人を養えるかどうかはまた別の話なのだ。たとえば、太陽光発電所にしろ地熱発電所にしろ、これらの施設を造るのにはエネルギーが必要だ。太陽の光は空から降ってくるけれども、太陽光発電所は空からは降ってこない。エネルギーをかけて造る他はない。
 そして、重要なことは、このエネルギーとして使えるのは今の所、化石燃料しかないことだ。だから、太陽光発電所や地熱発電所や風力発電所を沢山造ると、必然的にCO2の排出量は増大するのである。簡単に言えば、CO2を削減しながら、代替エネルギー源を立ち上げることは不可能なのだ。未来のためにも、今、CO2の削減を、などというノーテンキなことを言っていてはいけないのである。
 次に重要なのは効率の問題だ。100の化石エネルギーを使って造った施設から回収できるエネルギーが100以下なら、そんな施設は無意味である。最初から化石エネルギーを使った方が賢い。100のエネルギーを注ぎ込んで120回収できるとなって、はじめて実用化が可能なのだ。たとえば200回収できるとなれば、余分の100のエネルギーを使って、もう一基同じ施設を造ることができる。だから、成否はいかに効率の良い施設を造れるかにかかっているといってよい。
 今、一番重要なことは、地熱発電や太陽光などの効率をアップするための技術開発に投資することだ。うまくいけば、石油に代わる無尽蔵なエネルギー源を手に入れた人類は、まだ当分は滅びないで繁栄するに違いない。あるいは結局うまくいかないかもしれない。といっても地球上にサステイナブルなエネルギー源がないわけではない。植物を植えておく以上に有効な、サステイナブル・エネルギーの利用方法は、結局はなかったというに過ぎない。
 但しそうなると、現在の世界人口68億人は養えない。せいぜい20億から30億がいい所だと思う。現在の世界の穀物生産量はおおよそ100億人を養える。しかし、石油がなくなれば、収量は大幅に落ちて、60億人分しか穫れないかもしれない。そこで世界人口が10億人なら、余った穀物をバイオエタノールにすれば、石油がなくなっても暮らしてゆけるだろう。人口が減れば、野生生物も現在よりもはるかに棲み易くなるに違いない。だから世界はCO2を減らす方法を考えるより、人口を減らす方法を考えるべきだと私は思う。
―――――

マッチs.jpg

 長い文章ですが、大事なことが書かれているので全文を引用しました。

 いま現在の地球は、縄文時代や中世の温暖期に比べたらまだ寒冷な気候なのです。あと少し温暖化したほうが、地球の生物にとって快適な気候になるのです。
 地球の平均気温が、あと一、二℃温暖化したからといって、地球の生物の大半が絶滅するなんて、過去、一万年の気候変動をみたらあり得ない話なのです(そんなバカなことを言っているのは気候学者という変な人たちのようですが…)。

 地球は、数百万年前から、極地に氷床を持つ氷河時代にあるのです。それ以前の、今より1600万年前ころ、岩手県一戸町にマングローブが生えていたようです。氷河時代になる前は、岩手県が亜熱帯の気候で、冬の気温がいまよりも十℃くらい高かったのも事実のようです。
 それに比べたら、いまより二、三℃温暖化しても大した問題ではないと考えるのが合理的な思考だと思います。

 百年間で一、二℃の平均気温の変化を、過去に例をみない急激な変化だという人がいます。その人がいったい過去何年分の気温データを持っていると言うのでしょうか。せいぜい数千年分か数万年分のデータを持っていれば良いほうだと思います。1600万年前、岩手県が亜熱帯だったというのが事実だとしたら、過去数千年分とか数万年分ののデータだけで、過去に例がない急激な変化と断定するには無理があります。そういう与太話に付き合っても仕方がないと思います。

 地球温暖化で、ホッキョクグマが絶滅するかの話もウソです。過去五十年のデータを見れば、温暖化した地域で個体数が増え、寒冷化した地域では個体数が減少しているそうです。それで、どうして、地球が温暖化するとホッキョクグマが絶滅するという話になるのでしょうか。バカバカしくてお話になりません(気候学者よりも生物学者のほうが、ホッキョクグマの生態については詳しいと私は思いますが…)。

 中世(紀元900-1300年)の温暖期に、グリーンランドを植民地として開発した時代があったのも事実なのです。その後の気候の寒冷化によってグリーンランドから撤退せざるを得ない状況になったのも事実なのです。いま現在よりも、中世の温暖期のほうが温暖な気候であったことは、ヨーロッパや日本の史料を調べたら明らかなのです。なのに、過去1300年で、いま現在の地球が最も温暖化しているなんて、どうしてそんな見え透いたウソが言えるのでしょうか。科学者がウソつき競争をするなんてとんでもない時代になったものだと思います。

 問題は、地球の気候が少しくらい温暖化しても、人類にとっても、他の生物にとっても大した問題はないが、反対に、地球の気候が寒冷化すれば、飢饉が発生し、70億人の人口は養えなくなるということなのです。

 本当に怖いのは、温暖化ではないのです。気候の寒冷化やエネルギーの枯渇によって、食糧生産が激減し、数十億人という単位で人口が減少せざるを得ない状況が発生することなのです。

 私が生きている間に、そんな恐ろしい状況にならないことを祈ります。

(by 心如)


タグ:環境
nice!(4)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 4

コメント 2

TSUNE

人類にとって、気候の温暖化よりも、寒冷化のほうがはるかに恐ろしい、というのは、まったくもってその通りですね。

地球の未来は、人為的CO2による温暖化であって、寒冷化など起こらない、と言う人は、何を根拠にしてるんだか。二酸化炭素だけが気候変動を決定づけるとでも言うのだろうか?どうみてもアホ丸出しにしか見えない。
by TSUNE (2011-12-19 13:45) 

心如

TSUNEさん、コメントを頂き有り難うございます
 西暦1300-1850年の小氷期のような気候になれば、江戸時代のように、大飢饉が何度も発生し、何十億人という人間が飢え死にする可能性があるのです。
 私に言わせれば、いま現在の気温が、あと一、二℃温暖化するほうが、1850年以前の今より気温が一、二℃低い状態に戻るよりも良いに決まっています。
 二酸化炭素濃度も、600ppmくらいまでなら増加しても何の不都合もありません。反対に、植物の生育がよくなって、食糧増産に役立つと思います。

 温暖化して困るのは、スキー場くらいのものです。
by 心如 (2011-12-19 22:40) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。