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行政の可視化、賛成93%…!? [政治]

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http://web.diamond.jp/rd/m2069753

【第217回】 2012年2月1日
山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
原発事故対策でまさかの議事録未作成
「行政の可視化」を提唱する

 政治に対する国民の不満を増幅
 原発事故対策の議事録未作成が発覚

 東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所の事故対策に関連する政府の多数の会議で、議事録が作成されていないことが問題になった。
 特に原発事故に関しては、(1)国民に対して適切な情報提供がなされたか、(2)原発事故対策は適切であったか、(3)事故対策に対して誰がどのような貢献をし、責任を持っていたのか、(4)同様の事故に対して今後の教訓とすべきことは何なのか、などを考える上で、各種の対策会議の内容は多くの国民が知りたいと思うところだ。
 情報提供や対策の適切性については、場合によっては法的な責任が絡む問題でもあるし、政治家が絡むやりとりについては、国民の今後の投票行動において必要な基礎データでもある。
 今回の議事録の不作成は、「どうせ、後で責任を取りたくないから、議事録作成を意図的にやらなかったのだろう」という、政治家に対する国民の不信の念を募らせることにもなった。
 これは自然な感情だろう。筆者だって「怪しい」と感じる。当時の事故対策の主要メンバーでは、枝野経産大臣や細野環境大臣などが、原発事故の対策に引き続き関わりのある要職にあるが、彼らは無責任会議の片棒を担いでいた人たちなのだと思うと、あまりいい気持ちはしない。
 野田首相は、議事録不作成に遺憾の意を表し、事後的にでも議事録を整備すると言っている。だが、後から作る議事録は、どうせ当たり障りのない無内容なものになるのではないか。議事録不作成が大きな問題ではなかったことにするためにも、物議を醸すような内容は盛り込まれないだろうと思ってしまう。
 政治家への不信も重要な問題だが、国民がチェックすべきは政治家ばかりでもない。震災や原発事故の対策に関わった公務員の行動や判断も、検証の対象とする必要があることは言うまでもない。

 重要な会議では議事録を作る。これは、行政の常識だ。今回、特別に重要と思える会議で記録が残っていないことは、遺憾であるだけでなく、不自然だ。今回の件は、政治家も官僚も「粗末」と言うしかない。大事なのは、議事録の事後作成ではなく、責任問題の明確化の方だ。

 後で事実をいくらでも変えられる
 議事録は機能が不十分な代物だ

 議事録は、後に会議の内容を確認する重要な手段であり、公僕(政治家や公務員)の仕事には必要なものだ。しかし、議事録は、機能においてかなり疑問が残る代物だ。
 まず、議事録には作成者がいる。基本的に、議事を一言一句正確に再現するものではないから、作文の段階で裁量が入る。不都合と思った内容は載せないことがあり得るし、ニュアンスを変えて載せることもできる。
 また、発言者の確認をとって作成するような議事録では、発言者が事後的に発言の修正を行なうことがある。いずれにせよ、議事録作成は、後世に残す事実を相当程度変えることができる、悪い意味でクリエイティブな作業なのだ(もっとも、議事録すら残っていないというのは、もっとはるかに酷い話だが)。
 今回、事故への対処が忙しくて議事録作成が疎かになった、という言い訳が存在する。「盗人にも三分の理」という言葉の通り、確かに議事録を作るには手間がかかる。
 「それで、事故対応が遅れては困るでしょう」と阿呆な政治家なら開き直るかも知れない(実際は、議事録に気づきもしない人物に危機管理を任せていたことの方が国民的悪夢だ。言い訳をするのであれば、「私が事務方に指示したが、事務方がサボった」と嘘でも言ってくれた方がまだ気楽だ)。
 議事録は必要だが、不正確であり、手間とコストがかかる現実がある。しかし、いい方法がある。

 会議の録画や録音を義務付け
 「行政の可視化」を実施せよ

 民主党政権は、いい方法をすでにご存知のはずだ。

 民主党は、政権交代の前後に、刑事事件に関する「取り調べの可視化」を主張していた。たとえば、検察が小沢一郎氏を起訴するにあたって、小沢氏本人や秘書への取り調べに不適切な行為がなかったかどうかを、後から確認できるようにせよ、という訳だ。
 取り調べの可視化は、その後、あまり話が盛り上がっていない。官僚サイドはやりたくないだろうし、政治家にとっても首を突っ込むと、政治的な見返りが小さそうな割にはややこしそうな問題なので、話が進まないのはもっともだ。あまたある「言ったけれども、やらなかった政策」の一つであるに過ぎない。
 さて、取り調べの問題は脇に置くとして、大臣が出席するような会議や、官僚がメモを作成するような行政において重要な打ち合わせについては、全て録画ないし録音を義務づけてはどうか。一言でいうと、「行政の可視化」だ。
 もちろん、行政には個人・企業・国家それぞれの保護すべき秘密に関わる問題もあるだろうし、外交問題など、リアルタイムの公開が全て望ましいとも限らないテーマはあるだろうが、「重要なやりとりは全て保存する」というルールはあっていいはずだ。
 公開にあっては、(1)時期を区切る(一定年数後に公開する)、(2)公開対象を区切る(問題によっては国会の秘密会や法廷だけにする)、(3)公開内容を区切る(固有名詞を編集で削除する。原本は残すが)、といった工夫が必要だろうし、もちろん、専門家による各種の審議会など、リアルタイムで何でも公開する「ダダ漏れ」が最も望ましい会議も大量にあるはずだ。
 会議を動画で撮ることは、技術的には何も難しくない。まして録音でも、発言内容と発言者は特定できるから、最低レベルを全ての会議・打ち合わせの録音としても、ICレコーダーがいくつかあれば十分だ。
 もちろん、会議を全て聞くには、会議と同じだけ時間がかかってしまうが、国民の関心が高い会議については、録音ないし動画をネットにアップしておけば、文字起こしして議事録を作る人は、ボランティアでいくらでもいるだろう。忙しさは理由にならない。コストも同様だ。

 まじめな官僚は仕事がスムーズに
 行政を可視化すれば「副次効果」も

 政治家や責任あるポジションの官僚は、いずれも国民が税金で養っている公務員なので、国民は彼らの仕事を監視する権利がある(プライベートな生活ではなく「仕事について」であることには注意が必要だが)。行政の可視化は、全く自然な要求だ(野党時代の民主党なら、間違いなく賛成しただろう)。
 この際、過去の不始末の言い訳は別途落とし前を付けて貰うこととして、前向きな改善として、全ての会議・打ち合わせのデジタル録音ないし録画の記録作成と、その保存を法制化してはどうか。
 政治家も官僚も気乗りしないし、大手メディアも自分たちの存在意義が希薄化するので、気乗り薄だろう。仮に行政の可視化を提案すると、公開の方法などについて検討することになって、検討委員会が作られて時間稼ぎされるうちに立ち消えになるパターンが予想される。
 提案は、記録と保存の義務化を、公開方法の検討と切り離して法制化するように持って行くべきだろう。公開の判断については、当初は個別に裁判所の判断に委ねてもいいではないか。
 行政を可視化されると、官僚は仕事がしにくくなるかも知れないが、そうと限ったものではない。

 たとえば、大臣が愚昧で、官僚の説明や提案を理解できないようなケースについては、やりとりのメモに相当する録音や動画をどんどん公開すれば、誰が悪いのかがはっきりする。真面目な官僚にとって「可視化」は、仕事のアリバイ作りの役に立つ。

 副次的な効果として、無能な大臣を淘汰する役にも立つのではなかろうか。いい考えだと思うが、いかがだろうか?
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行政の可視化.jpg


 福島第一原発の事故に関連する政府の多数の会議で、議事録が作成されていなかったそうだ。


 これでは、会議で誰が何を発言したのか分りません。

 なぜ、そういう決定がなされたのか、

 あるいは、なぜ、何も決定しないまま、時間が浪費されたのか、

 いったい誰に責任があるのかが分りません。

 閣僚が参加した重要な会議なのに、こんな無責任な話はないと思います。

 今後、閣僚が参加する重要会議はすべて録音し、必要があれば後日、再生して発言内容を確認できるようにする「行政の可視化」は必要だと思います。

 録音されたら困るというような人は、閣僚になる資質がないと判断してよいのではないかと私は思います。

(by 心如)


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