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安全保障関連法案以前の問題ではないのか [雑感]


ssh732 社説の読み方〜違憲だ、いや違憲じゃない編(3)

 安保関連11法案に対して社説展開してきたのは4紙だけだと思っていたら、珍しく日経が社説展開してきました。 取り上げないのも不公平なので、第3弾として取り上げさせていただきます。◆◆現実がもたらしてきた「憲法解釈の変遷」(2015.6.13.)  国会で審議中の安全保障関連法案の柱である集団的自衛権の行使容認をめぐって、憲法解釈の対立が続いている。衆院憲法審査会で自民党推薦の参考人として出席した憲法学者が違憲と明言したのをきっかけに、政府が統一見解を示す事態となり、与野党がそれぞれの立場から合憲・違憲の水かけ論を繰りひろげているものだ。 この問題は9条解釈という戦後ずっと続いてきた政治の一大テーマで別に目新しいものではない。9条が抱える構造問題でもある。 現実はめまぐるしく動いていく。本来であれば、憲法を改正して対応するのがいちばんいいのに、それができない。そこで解釈によって矛盾がないように知的アクロバットをしてきた。 振りかえれば、憲法制定議会で吉田茂首相は自衛権を否定するような答弁さえしている。自衛隊について「憲法の容認するものとみなすのは、憲法の真意を曲げる論理の飛躍というべきである」(清宮四郎著『憲法1』)というのが憲法学の一般的な見解だった。 しかし米ソ冷戦、朝鮮戦争で国際環境が一変、「戦力なき軍隊」として創設された自衛隊はどんどん大きくなり、存在を否定できなくなった。「違憲合法論」は憲法学の困惑の表現だった。 冷戦後もPKO法、周辺事態法……状況の変化を踏まえ、政府はぎりぎりの線で憲法解釈をしてきた。そこに権力闘争である政治の駆け引きが絡まり合う。憲法解釈の変遷こそが戦後日本である。 そして今、日本を取り巻く安全保障環境はたしかに大きく変化している。北朝鮮はいつ暴発するか分からない。 中国の台頭で米国を軸とする国際社会の力の均衡が崩れたことも見逃せない。尖閣諸島の領有権をめぐる摩擦にとどまらない。中国の海軍力の増強、南シナ海での埋め立ては日本のシーレーン(海上交通路)に影響を及ぼさないのだろうか。かりにあの空域で中国が防空識別圏を設定すればいったいどうなるのだろうか。 「9条の定める理想は理想として尊重するが、現実には、その時々の情勢判断によって、保有する軍備の水準、同盟を組む相手国等を、それらが全体として日本を危険にするか安全にするか、安全にするとしてもいかなるコストにおいてかなどを勘案しながら決定していくしかない」(長谷部恭男著『憲法』)。その通りである。◆◆ 最初にホメてあげたいのは、結びに長谷部恭男の著作を引用してみせたことでしょう。これは他紙には見られません。こういう発言をする専門家は、ではこれまでどんな意見を述べてきたのか―日経のスタッフはそれを調べたのでしょう。この姿勢は立派だと思います。特に違憲の指摘に反論しようとした読売と産経はこの姿勢を大いに見習うべきでしょう。敵を知らずして戦いはできません。 日経のトーンは、この種の問題に対してよくある「あまり深入りしたくない」というものです。経済新聞を標榜する日経からすれば、政治の問題は経済活動を邪魔しなけりゃいいというものなのかも知れません。それはそれで一つの姿勢として尊重すべきでしょう。 ただ、今回の社説に関しては、学校現場での君が代斉唱云々の時ほど評価はできません。 日経の主張は「憲法解釈は実情に応じてすべし」。なれば、実情の理解こそがもっとも重要。なのにその部分は「そして今、・・・どうなるのだろうか。」の部分だけ。 集団的自衛権の可否を述べるなら、この部分がもっとも重要。そうではなく、一般論として「解釈は実情に応じて」と言うだけなら、ここは不要です。 オトナの対応を目指しながら、与党の肩も持ちたいなというスケベ心も見えてしまったという感じでしょうか。案件が案件なだけに、中途半端な印象が強い文面です。 ラストは地方紙代表で、長野県の信濃毎日新聞の社説。


──────
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
──────

 個別自衛権の行使は合憲で、集団的自衛権の行使は違憲だという話は如何なものかと思います。憲法第9条を読んでみれば、日本に陸海空軍その他の戦力が存在すること自体が憲法違反だと言うのであれば分かりますが。、、

 国をまもるための自衛権の行使は認められる。自衛のための戦力保持は許されると言うのであれば、憲法に自衛のための戦力の保持は可能だと明記すべきだと私は思います。

 ただし、どんな戦争でも侵略が目的だと言った例はないと思います。相手を挑発し、偶発的な武力衝突が発生したら、自衛のためと称して戦争に突入したのがほとんどだったと思います。

 安保法制が違憲かどうかが、学者の意見で決まると考えるのはおかしいと思います。専門家でないと判断がつかないような問題ではないのです。憲法の条文のどこにも、個別自衛権行使ならよくて、集団的自衛権行使は駄目だなんて書かれていません。どんなに多くの学者が集団的自衛権行使は違憲だと言っても、そんなことはどこにも書かれていないのだから、学者先生がどう思うかなんて意味がないのです。

 問題なのは、「陸海空軍その他の戦力を保持しない」という憲法の条文をまもるのか、国をまもるためには最低限の戦力の保持は必要だと認めて憲法第9条を改正するのかどちらかではないかと思います。

 日本は法治国家だというのであれば、国の最高法規である憲法の解釈が専門家でないと出来ないというのがおかしいのです。義務教育を修了した者が読めば、大半の国民に分かる内容であるべきです。

 政治的な判断で、憲法の解釈が変わるなんていうご都合主義は許されてよいはずがないのです。憲法は、そういう政権の暴走を抑えるためにあるのだから。、、

(by 心如)

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タグ:憲法
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心如

 憲法学者の解釈がどうのこうのと言って騒いでいる人たちは、学者でないと解釈できないような難解な憲法こそが諸悪の根源だと思わないのだろうか。憲法学者なんていう肩書の学者が存在することこそが、日本国憲法が有効に機能していない証拠だろうと私は思いますが。、、
by 心如 (2015-06-18 22:34) 

shira

 記事をご紹介頂きありがとうございます。
 議論としては政権側の完全敗北状態ですね。でも数的には絶対有利(安保法制を争点にした選挙での勝利じゃないけれど)。さてどうするつもりでしょうか。
 ただ、原子力や経済関係で自分たちに都合の合う意見を述べると「専門家もこう言っている」と活用しておいて、今回みたいなことになると学者はどーたらこーたらと批判するイソップのコウモリみたいな人間には、国政を担うのは不向きだと思いますね。
by shira (2015-06-18 22:50) 

心如

shiraさんへ、コメントを頂きありがとうございます
 私は天邪鬼なので、学者先生とか権威というのは懐疑的にみてしまいます。どこかの偉い先生が言っているからそうなんだという話は信じません。自分の頭で考えて納得できるものしか信じないのですが。、、
 自衛権については当然あると思います。個別だから合憲で、集団的だと違憲だという以前に、憲法には自衛権を規定している条文が無いと思います。規定が無いのに合憲とか違憲とか言っても意味がないと思います。その前に、自衛隊の存在自体が違憲だと思いますが。、、
by 心如 (2015-06-19 20:06) 

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