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科学の進歩が、人の寿命を縮める時代に…!? [社会]

 『医学』という科学技術の進歩は、人の寿命を本当に延すのでしょうか?

 こんなことを言うと、駄目オヤジがまた変なことを言い始めたな… と思われますね。普通の人にとって、医学の進歩こそ人の寿命を延ばす、と考えるのが常識だから当然なのですが…
 そういう常識を信じて疑わない人は、今回の記事は読まないほうが仕合せです。スルーされることをお奨めします。

 常識なんて案外いい加減なものだ、

 と考える方だけ、続きをお読み頂ければ幸いです。
 


 まず、寿命とはなにかを、おさらいします。

 【寿命】 ①命のある間の長さ。齢(よわい)。生命。「―が尽きる」 ②転じて、物が使用され得る期間。「電球の―」 ③〔理〕素粒子・放射性元素・分子などが、ある特定の状態に存在する時間。
(広辞苑 第五版)

 「ヒトの寿命」という場合、どこかの会社の経営者のように、②の「使用され得る期間」を指すと考える人も稀にいるかも知れませんが、普通は①の「命のある間の長さ」を指すのです。命のある間の長さがヒトの寿命とすると、その「始まり」と「終わり」は何かという話になると思います。
 ヒトの「命の始まり」を、普通はヒトの「誕生」といいます。反対に、ヒトの「命の終り」を、ヒトの「死」といいます。そんなの当たり前だ。ヒトの寿命は「誕生」から「死」までに決まっている。なにを今更いっているのか? というご不審はもっともです。しかし、科学技術の進歩が、人の誕生と死に、昔とは違う定義を求め始めているのも事実なのです。

 まず、ヒトの死を厳密に定義すると、ヒトの身体を構成する六十兆個すべての細胞が生命活動を停止したとき、となると思います。これは、古典的な死、いわゆる死の三徴候、呼吸停止、心臓停止、瞳孔散大が起きた時点よりもかなり後のことです。呼吸と心拍が止まり、酸素の供給がなくなっても、細胞は体液中に溶存した酸素と栄養素を使って、おそらく数時間以上は、持ちこたえることが出来るからです。
 ところが、誰が決めたのか、『臓器の移植に関する法律』では、脳死した者の身体は「死体」に含まれるとされています。すなわち、脳死を人の死とすることが決められているのです。脳が死んでも末梢の臓器は生きている。いくつかの臓器がその動きを停止しても、個々の細胞はなお生きながらえる。しかし、人が決める人の死は、生物学的な死から離れて、どんどん前倒しされているのです。
 本来、連続して推移する生命の時間を、あまりにも人工的な境界線を設けて、すっぱりと分断していると思います。

 死の対称点は誕生です。人は一体、いつ生まれると言えるのか。すべての細胞は、細胞から生成するので、ここにも本来、連続性のみが流れています。不連続面はどこにも無いのです。精子は精原細胞が分裂して生成します。卵子は卵原細胞が分裂して生成するのです。卵子も精子も生きていますが、まだそれはヒトではありません。生物としての人の出発点は、卵子と精子が合体し、受精卵が誕生したときと考えるのが自然なのです。
 しかし、この素朴な考え方はおそらく、近いうちに強力なロジックの前にたじろがざるを得ないのです。死の定義が素朴な問題ではなかったように、誕生の定義も全く素朴な問題ではないのです。今後、立ち上がってくるロジックとはなんでしょうか。
 人の死を、脳が停止する時点に置くのであれば、論理的な対称性と整合性から考えて、人の誕生は、脳がその機能を開始する時点となります。つまり「脳始」です。脳始論に立てば、受精卵はまだ人ではないことになります。細胞分裂が進み、脳の神経回路が構築され、脳波が現れるのは受精後二十四~二十七週のことです。いわゆる意識と称するものが生まれるのはこの後になるのです。
 脳死が人の死を前倒ししたように、「脳始」は定義の仕方によっていくらでも人の生の出発点を先送りできるのです。

 しかし、そんなことがなぜ必要なのでしょうか。それは脳死と臓器移植の関係と全く同じです。死んだと定義した身体から、まだ生きている細胞の塊を取り出したい。それと同じ動因が、人の出発点近傍にも存在するのです。受精卵およびそれが細胞分裂してできる胚が、脳始以前の、まだ人ではないものと定義できるなら、それは単なる細胞の塊に過ぎないとみなされます。そうなれば、胚を再生医療などの名目でいくらでも利用できるのです。
 ここでもまた、本来存在しない人工的な境界線が、連続する時間を分断するのです。

 私たちが信奉する先端医学という名の科学技術が、必ずしも人の寿命を延すとは言えないのです。私たちの生命の時間を、その両端から切断し縮めようとしているのですから…
 人の命を救うのが医学の目的のはずです。しかし、その手段にすぎない臓器移植や再生医療を正当化するために、医師の要請で人の命の時間が切断し縮められてしまうのは皮肉な話ではないかと思います。

『目的は手段を正当化しない』ということばの意味を、医師も考えて欲しいのですが…


堅苦しい話に、最後までお付き合い頂き、誠に在り難うございます。

バカは風邪をひかないといいますが、珍しく風邪気味になりました。
大切なモノとは何か、失ってみないと分からないので困ります。

皆様には、ご自愛をいただいて、
ご家族と明るく和やかに年末・年始をお過ごし頂けますように、
心からお祈りいたします

(by 小父蔵)

 

【参考資料】

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

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  • 作者: 福岡伸一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/07/17
  • メディア: 新書




     

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コメント 8

aranjues

私はこの2年ほど全く風邪ひかなくなりました(苦笑)。
by aranjues (2009-12-28 12:41) 

mamire

私は、脳死を「死」とはどうしても受け入れられません。
最後の細胞が動きを止めるまで・…ヒトの体から温かみが消えるまで。
もう、どうやっても、この人は戻ってこないと理解できるまで、「死」は受け入れられないと、思います。
by mamire (2009-12-28 21:02) 

吟遊詩人41

インフルは結構ですが、、、たまには風邪くらいひかないと調子狂いますね^^;
by 吟遊詩人41 (2009-12-29 01:06) 

なおくん

興味深い話を有難うございました。
風邪ですか?
お大事に。
by なおくん (2009-12-29 09:01) 

enosan

私も先日から風邪ぎみ、と言っても熱はなく喉が痛くて仕方がなかった。
昨日あたりからようやく痛みもとれてきた。
今年も残り2日余り早く治していいお年をお迎え下さい。
by enosan (2009-12-29 09:51) 

BPノスタルジックカーショー

おはようございます。

風邪はいけませんね。
お大事にしてださい。
by BPノスタルジックカーショー (2009-12-29 10:46) 

qooo

深いですね〜。
昨年は、脳死についての新しい法案も決まり、
ものすごく考えさせられました。

by qooo (2010-01-02 06:47) 

大将

交通事故死ワーストワンと言う汚名返上をした北海道、
汚名を返上して2年だったか3年経ったそうです
警察の人に聞きましたが
交通事故死というのは交通事故があって24時間以内になくなると
交通事故死の数に入れられるそうです
で、交通事故にあって目を落としそうな人に
注射をするそうです
身体はすでに機能していなくても
とりあえず生命反応がある状態にするそうです
それで汚名返上に一役買っているとか。。。
何のための警察、何のための薬なんだか
by 大将 (2010-01-18 19:11) 

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