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科学理論の本質とは…!? [科学]

ホーキング、宇宙のすべてを語る

ホーキング、宇宙のすべてを語る

  • 作者: スティーヴン・ホーキング
  • 出版社/メーカー: ランダムハウス講談社
  • 発売日: 2005/09/30
  • メディア: 単行本

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 3.科学理論の本質(The Nature of a Scientific Thory)

 宇宙の本質を語り、また宇宙の始まりや終わりがあるのかどうかを議論するためには、科学理論の本質が何であるかを明確なものにしなくてはなりません。ここでは、理論というものは、宇宙もしくは宇宙の限られた一部に関するモデルに過ぎず、私たちが行う観測とそれらのモデルの中身とを関連づけるいくつかの規則に過ぎないものであるという、簡潔な視点を取るつもりです。したがって理論は私たちの頭の中にこそあれ、他のいかなる現実性をも持っていないのです(現実性というものが何を意味しているとしても)。
 よくできた理論とは、二つの要件を満たすものを指します。まず第一に、広範囲にわたる観測結果をわずかしか任意的要素を含まないモデルに基づいて正確に描写できなければなりません。そして第二に、将来観測される結果について明確な予測をすることができるものでなければなりません。たとえば、アリストテレスはすべての物質は土、空気、火、水の四つの元素から作られているというエンペドクレス(前493~433頃)の理論を信じていました。これは確かに十分に簡潔ですが、しかしなんら明確な予測をするものではありませんでした。一方、ニュートンの重力理論(万有引力理論)はより簡潔なモデルに基づいています。物体がそれぞれの質量と呼ばれる量に比例し、かつ互いの距離の二乗に反比例する力によって互いに引きつけあうというものです。しかもそれは簡潔なだけでなく、太陽、月、惑星の動きを高い精度で予測するものでした。

 どんな物理的理論でさえ、暫定的なものであり、ある意味で単なる仮説に過ぎません。そして、決してそれを証明するすることはできないのです。つまり、たとえ何度となく実験の結果がある理論と合致したとしても、その次の実験でもその理論と矛盾する結果が出ないとは決して断言できないのです。他方では、理論的な予測と食い違う観測結果をたった一つでも見つけたら、その理論を論破できます。科学哲学者カール・ポパーは、よくできた理論とは、観測によって誤りであることが原則的に証明されうる複数の予測を行うものだと強調しています。つまりそこから導かれる予測が実験・観測によって正しいかどうかを証明できない理論など、価値がないのです。理論からの予測と合致する新しい実験結果が観測されるたびに、その理論は生き延び、私たちのその理論に対する信用も増加します。しかし、もし新しい観測が予測と異なるものであれば、私たちはその理論をあきらめるか、改良しなければなりません(もっとも、その観測を行った人の能力を疑問視した方がいい場合も多々あります)。

(以下、省略)
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 広辞苑で、「理論」を引くと、
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りろん【理論】
 ①(theory)
 (ア)個々の事実や認識を統一的に説明することのできる普遍性をもつ体系的知識。
 (イ)実践を無視した純粋な知識。この場合、一方では高尚な知識の意であるが、他方では無益だという意味のこともある。
 (ウ)ある問題についての特定の学者の見解・学説。

〔広辞苑 第五版〕
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と、説明されています。

 科学理論とは、特定の科学者が、自身の知見に基づいて導いた見解・学問上の(仮)説だと考えればよいのだと思います。

 特定の科学者が、宇宙もしくは宇宙の一部について、いま現在の知見によればこう考えるのが妥当だと信じる見解を述べているだけの話なのです。だから、新たな事実が観測されたら、まったく違う見解にいたることも往々にしてあるのも事実です。
 所詮、人間には森羅万象を知悉することは不可能です。それどころか、人類が観測できているのは、宇宙全体のたった4%に過ぎないという話もあるのです。宇宙全体の96%は、観測すらされていないかもしれないのです。

 所詮、科学理論とはその程度のモノに過ぎないということを、当の科学者すら理解できていない場合があるから怖いのですが。。。

(by 心如)

・・・

【おまけ】

いつもの奴.jpg

◎講義
 ある教授が毎週行う講義には、いつも多くの学生が集まった。しかし、ある時、教授は講義をするのがどうにも面倒になってしまった。ある週の講義、教授はまず聴講生に向かってこう言った。
「みなさんは私の話すことがわかりますか?」
 聴講生は一様にうなずきながら、
「わかります」
と言った。すると教授は、
「わかっているなら、もう話す必要はないですね」
と言ってさっさと帰ってしまった。
 その翌週の講義、教授は再びこう聞いた。
「みなさんは私の話すことがわかりますか?」
 今度は聴講生はこう言った。
「わかりません」
 すると教授は、
「わからないなら、話しても仕方がありませんね」
と言って再びさっさと帰ってしまった。
 そのまた翌週、困った聴講生たちはどうしたら講義を聴くことができるだろうかと話し合った。そして次に聞かれた時は半分の人が「わかります」と答えて、もう半分の人が「わかりません」と答えるように決めた。
 次の講義の日、教授はまたこう聞いた。
「みなさんは私の話すことがわかりますか?」
 すると聴講生は打ち合わせた通り、半分が「わかります」と答え、もう半分が「わかりません」と答えた。それを聞いた教授はこう言い残して帰って行った。
「それでは、わかる人がわからない人に教えてあげてください」

・・・
 


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コメント 4

大将

宇宙って想像もできない位の大きさ
無限って無いと人は思うようですが
宇宙の存在する場所ってどんな所なんでしょう?
さらにその宇宙の存在する場所が存在する場所ってどんなところ?
さらにさらに。。。
by 大将 (2011-11-11 20:35) 

心如

大将さん、コメント 有り難うございます
 宇宙の大きさですか… 今のところ、137億光年だと言われていたと思います。光の速度で飛んで行っても、137億年掛かる大きさだということのようです。
by 心如 (2011-11-11 21:03) 

大将

はたして…
その137億光年もかかる広さのモノがどこにあるんでしょうね?
by 大将 (2011-11-12 22:14) 

心如

大将さん、再びコメントを頂き、有り難うございます
 宇宙がどこにあるのかというのは、宇宙の中にいる人類には知る術がないと思います。案外、お釈迦様の掌の上かもしれません ^^;
by 心如 (2011-11-13 06:57) 

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