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何が正しいかは、多数決では決まらない [科学]

世界の論争・ビッグバンはあったか―決定的な証拠は見当たらない (ブルーバックス)

世界の論争・ビッグバンはあったか―決定的な証拠は見当たらない (ブルーバックス)

  • 作者: 近藤 陽次
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/08
  • メディア: 新書

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はじめに

 読者は、ビッグバン理論が、すでに確立された正しい学説だと、信じておられるだろうか? もし、そうだとしたら、本書の題名を、少々奇異に思われるかもしれない。現在、ビッグバン理論は、科学の専門家たちにも、また一般読者向けの科学記事を書く記者の人たちにも、主流派もしくは正統派と見なされている。だから、読者が、ビッグバン理論が正しいと信じている数多くの人たちの一人だったとしても、驚くにはあたらない。
 しかし、じつは、ビッグバン理論が本当に正しいのかどうか、結論が出ているわけではないのだ。みんながそう思っているからといって、必ずしもそれが正しいというわけではないという例は、この世には無数にある。
 どの宇宙論が正しいかという結論は先に預けて、先入観をもたずに、この本をまず読んで、その内容を熟考していただきたい。本書の目的は、ビッグバンを否定することでも支持することでもない。したがって、読後に、やはりビッグバン理論が正しいと思われる方があれば、それはそれで無論結構だ。結論がどうなるかはともかく、もう一度宇宙論そのものを、じっくりと考え直してみようという人が出れば、本書は、その肝心な目的の一部を達したものと考えたい。
  ◆    ◆    ◆
 本書の目的を正しく理解していただくために、まず最初に、歴史上の宇宙観の変遷と、その変遷の理由を振り返ってみる。
 なぜ、現在もう時代遅れとされている古い宇宙観を振り返ってみる必要があるのか、と疑問をもたれる人もあるかもしれない。宇宙観または世界観の変遷を再検討する大切な理由は、過去のどの宇宙論も、その時代の天文学者たちや一般の人たちのもっていた科学知識の基盤や、その人たちに取得可能だった観測資料に照らしてみると、それはそれで十分納得のいくものが多かった、ということを知っていただきたいからだ。
 過去の宇宙論は、けっして、非科学的な迷信のようなものばかりではなかった、ということを、まず認識してもらいたいと思う。
 しかも、どの時代でも、少なくともその知識階級のほとんどは、当時の主流派の宇宙観を絶対正しいものと信じていた(一般庶民の場合、いつも生活に追われ、また読書のできる人もまれで、宇宙論などに関心をもつ余裕のある人は、比較的少なかったようだ)。
 まだ宇宙という観念が未成熟だった、古代人の自然世界観を、宇宙論と呼ぶのは少々おこがましいかもしれない。しかし、その時代時代の世界観というものは、そこに生きている人たちにどのような科学知識の探究法が可能か、ということに大きく左右されるものだ。その点をよく認識しておかないと、現在の宇宙論の種々の問題と、それにからんだ疑問点、さらには現代の科学研究および科学知識の限界というものが、理解し難いと思う。
 ひらったくいえば、現在の宇宙論のどこまでが明確な知識で、どこから先が憶測なのか、歴史上の種々の先例に照らして、身近に経験していただきたいのだ。
 科学の進歩には、伝統的な理論(主流派)と、新理論もしくは異端論(少数派)の対決が、付き物と思われがちだが、必ずしもそうではない。伝統的な理論(主流派)の中の一部から発展的に新しい理論が生まれてくるようなこともありうる。また、新理論もしくは異端論(少数派)なしには、科学の進歩が考えられことも事実だが、とはいえ、非伝統的な理論のすべてが正しいわけではないし、どう見ても、正当な科学研究とはまったく関係のないような、奇妙奇天烈な異端論もある。
 だが、民主主義において、言論の自由が、暴政を防ぐための防波堤となるように、かなり奇抜に思える新理論でも、主流派の推す伝統的な理論にそぐわない、という理由のみで、それを無視したり、排斥するのは、科学の進歩を妨げる行為である。だが、どのようにして、正当な新理論と、非科学的な奇説とを区別するかの判断は、必ずしも容易ではない。
  ◆    ◆    ◆
 本論に入る前に、科学理論と仮説の相違についてひと言述べておきたい。証明が十分でない学問上の意見は仮説と呼ばれる。それが、厳密なテストと検証を通して初めて、理論と呼べるものになる。
 たとえば、ニュートンの力学は、すでに何世紀ものあいだ、厳密にテストされてきており、十分検証済みだから、確立された理論といえる。ニュートンの力学は、物理条件が極限状態にある場合を除いて、ふつうの条件のもとでは常に有効である。そして、物体の速度が光のそれに近づく極限状態では、アインシュタインの「特殊」相対性理論が適用されることになる。
 この特殊相対性理論は、20世紀初頭から、すでに一世紀近くにわたり検証されてきているから、確立された理論と認めてよい。
 アインシュタインの「一般」相対性理論のほうは、それを適用することが必要な物理上の問題が、とくに天文学や宇宙論によく出てくる。この一般相対性理論は、そういう問題解決のテストを経ながら、目下検証が最終段階に近づきつつあるところだといえようか。
 ところで、宇宙論の仮説は、それをテストするのがかなり困難なことが多く、場合によっては、その検証が、すくなくともある段階では、まず不可能なことも間々ある。
 たとえば、宇宙が百数十億年前に創成されたものとして、そのときの物理条件を再現させようとしても、それは、現在の科学技術水準では、まず不可能に近い。そういう場合には、その仮説がどういう天文・物理現象を予言するかを調べ、それが実際の観測や実験と一致するかどうかを調べるのが、ふつう用いられる手段になっている。
 だが、観測技術の進歩とともに、その仮説そのものも進化して、その予言するところが変わってくることがよくあるので、仮説を客観的に検証するのは、言うのは易いが実行するのはかなり難しい。
 本書では客観性を保つために、ビッグバン説(現在の主流はとくに「インフレーション・ビッグバン説」と呼ばれる)も、定常宇宙説(現在は準定常〈Quasi-Steady State>宇宙説が登場している)も、宇宙論のすべてを仮説として取り扱うことにする。ただ、修辞上の便法として、ビッグバン説や定常宇宙説を、一貫して仮説と呼ばず、理論(あるいは論)という表現を使うことが間々あるかと思うが、この点、読者諸氏に事前の御了承を請うておきたい。
 過去一世紀ほどのあいだに、我々の宇宙についての知識は、飛躍的に進歩したが、まだよくわからないことも山ほどある。そのわからないところを含んだままで、理論を立てることになると、憶測がかなり入ってくる。本書では、宇宙論の中の確立された知識と、その中の憶測と思われるものとの区別を、はっきりさせていきたい。
 憶測がその主要な位置を占めているとしたら、その理論は、化学的には仮説の領域に属するものと見なすべきだ。もちろん、その仮説を理論として確立させようとする努力に、科学上の進歩が見られるのだから、ある段階では、仮説であることはけっして悪いことではなく、それはむしろ発展上での必要な過程である。
 避けるべきことは、仮説を確立された理論と混同することだ。

 2000年8月   近藤陽次
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 金剛石.jpg

 ある理論(仮説)が科学的に見て、いまのところ正しいと言えるかどうかは、その理論によって導き出される結果(予測)と、観測される事実とが合致するかどうかで判断するしかないのです。

 この宇宙の始まりがビッグバンによって起きたのかどうかを確かめるのは極めて困難だと思います。百数十億年前に何が起きたのか見た人はいないのです。また、そのときと同じ状況を何処かに作って実験することも出来そうにありません。
 つまり、実際に宇宙の始まりを観測した人はいないし、もう一つ宇宙を作って
実験することもできない以上、宇宙の始まりがビックバンであったのかを確かめる術がないのです。コンピュータ・シミュレーション(数値計算)によって確認するなんてやっても、宇宙誕生の仕組みが解っていないので意味がないと思います。

 宇宙の起源とか、生命の誕生など、いくら科学的に研究(推論)しても、どれが正しいのかなんて確認ができないことはいくらでもあるのです。

 主流派や権威を自称する人が何を言ってもそれを検証する方法がないのですからある意味で言ったもの勝ちなのです。検証できないのですから当然ですが反証もできません。

 検証できない(再現性と客観性が無い)ものを科学とは言わないのです。そういう意味で、宇宙の起源や生命の起源は、いまのところは科学と言えないのかも知れません。

(by 心如)


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コメント 10

旅爺さん

数千兆年単位で考えると星たちは集結し合い、
真赤に燃えて爆発してまた無数の星が散らばる仮設のビックバンは
信じたいです。
by 旅爺さん (2012-01-15 10:08) 

心如

旅爺さん、コメントを頂き有り難うございます
 ひとつの宇宙がビッグバンによって誕生し、膨張し、収縮し、また次のビッグバンによって再生する。そういうサイクルをくり返しているのかも知れません。でも、それを確かめる方法がないというだけの話です。
 所詮、科学理論のほとんどは人間の頭で考えた仮説に過ぎませんので、好きな仮説を支持すればよいのですから。
by 心如 (2012-01-15 10:20) 

silverag

こういうの興味あります
ある仮説で物事を考えると全て(?)が説明がつく・・・
でも、仮説で事実ではないというか、証明できない
状況証拠かな、冤罪かも・・・
神の存在の仮説も、全ての説明がつくんですが・・・(科学じゃない?・・)
by silverag (2012-01-15 10:29) 

心如

silveragさん、コメントを頂き有り難うございます
 神様とビッグバンは、人間の頭が考え出したという点においては等価です。神様の存在を考えれば、いま現在の知見では解らない部分が上手く説明できるという場合もあると思います。
「人はしばしば空想と事実を混同しがちである」というのもひとつ真実のようです ^^;
by 心如 (2012-01-15 10:44) 

vitamin_b2

来訪&コメント、ありがとうございました^^
ビッグバンですか!
私にとっては高度すぎる話なのでまったく未知の領域ですが、もし解明されるのであれば、是非知りたいという気持ちはありますよねw^^;
by vitamin_b2 (2012-01-15 14:00) 

心如

vitamin_b2さん、コメントを頂き有り難うございます
 宇宙の始まりが、本当に百数十億年前のビッグバンによるものかどうか… それをどうやって確かめるのかなど、面白い研究だと思います。でも、それがわからなくても何も困らないのも事実かな…^^;
by 心如 (2012-01-15 16:25) 

大将

多数決と言うのは一番簡単で不確かなものですね
by 大将 (2012-01-15 19:22) 

心如

大将さん、コメントを頂き有り難うございます
 多数決に参加する人間が、正しい情報に基づいて、正しい判断ができていない場合は、多数派の意見が正しい意見とはなりません。
 2009年夏の衆院議員選挙の結果をみれば、多数決が間違った選択をする典型だと思います…^^;
by 心如 (2012-01-15 20:34) 

shira

 なにせ宇宙物理は「実験」が効かないですから、仮説の検証がすごく困難です。仕方ないから「こう考えればこの現象とこの現象が矛盾なく説明できる」という純粋に演繹的なやり方をしていくことになる。これはもう数学や哲学と同じです。実際、説明のカベにブチ当たった物理学者は哲学や宗教の扉を叩く事もあるらしいです。
by shira (2012-01-15 22:56) 

心如

shiraさん、コメントを頂きありがとうございます
 宇宙の起源が百数十億年前だというのも確認のしようがないし、宇宙の大きさがどのくらいかというのも実際に行ってみることが出来ないのであくまで推測(憶測)でしかないと言うと言い過ぎでしょうか。
 宇宙がいつどうやって出来たのかなんて知らなくても普通の人には何も困りはしませんので、純粋に知的な遊びでしかないという見方もできます。そんなことの研究に、何百億円とか、何千億円も使う科学者は、研究資金という面で見たら、社会のお荷物でしかないのですが…^^;
by 心如 (2012-01-15 23:13) 

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