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脱原発を実現するために、何が必要なのか [エネルギー]

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http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120118/296616/?ST=rebuild
田原総一朗:「脱原発」を唱えるだけの風潮は危ない
2012/01/19
田原総一朗(たはら・そういちろう) [BPnet]

 2011年3月11日の東日本大震災と津波で起きた東京電力福島第一原子力発電所事故は深刻な事態になっている。科学技術の進歩や近代化に対して大きな疑問を投げかけた事故とも言える。
 「原発はとんでもない代物だ」と報道するメディアの姿勢は一種のファッションのようだが、果たしてそれでいいのだろうか。

 「脱原発」と言っても、原発問題は片付かない

 週刊誌の編集者によると、最近は「原発特集をすると部数が落ちる」という。それは原発批判がファッションになり、編集者が原発批判さえしていればよいという誌面づくりに甘えてきたせいではないか。
 多くの週刊誌は、「原発事故はこんなに深刻だ」「放射能はこんなに怖い」と書き、これでもかとばかりに原発の特集や記事を連発してきた。読者、国民が求めているのは「では、どうしたらいいのか」という対策なのに、それに取り組む企画はほとんどない。今でも、原発・放射能の危険性をあおる記事ばかりが目立つ。
 私は最近、『日本人は原発とどうつきあうべきか 新・原子力戦争』(PHP研究所)を出版した。この本では「脱原発と唱えるだけでは無責任だ」ということを書いた。
 「脱原発」とさえ言えば、それで問題は片付くと思われている節がある。しかし、「脱原発」と言っても、原発問題は少しも解決できないのだ。

 使用済み核燃料の再処理問題などはどうするのか

 日本には54基の原子炉があるが、すべての原発で使用済み核燃料が大量に一時貯蔵されている。使用済み核燃料は、いわば放射能の塊である。これをどうするのか。その問題はまったく片付いていない。
 使用済み核燃料にはまだ使えるウランやプルトニウムが残っているため、再処理工場で再び燃料として取り出せば使用できる。この再処理を行うまでの間、安全に貯蔵しておく施設を中間貯蔵施設と呼び、青森県・六ヶ所村に建設を進めている。
 再処理を行って燃料として使えるウランやプルトニウムを回収した後には、高い放射性レベルの廃液が残る。これにガラスを混ぜて固め、ステンレス容器で密閉して厳重に管理する。このガラス固化体を作る技術を国産化しようとしているが、まだ完全には確立されていない。
 また、仮にガラス固化体の技術が確立されても、それを封入したスチール容器をどこへ処分するのか。30~50年かけて冷却した後、300メートル以上の地下に最終処分するとしているが、その処分場所は見当がついていない。

 日本が目指した「核燃料サイクル」と「夢の原子炉」

 そもそも原子力発電が盛んになったのは1973年以降のことだ。きっかけは73年に起きたオイルショックだ。当時日本のエネルギーの中心は石油だったが、オイルショックで原油価格が急騰し、そのうえ産油国である中東の国々がイスラエルの味方をしている国には原油を売らないと言ったためだ。
 原油を100%外国に頼っている日本はその輸入を止められたらどうにもならない。そこで原子力発電を増やしていくことにしたのである。原子力発電の燃料であるウランも輸入だが、ウランは長く保管できるので輸入に伴うリスクは原油に比べて少ない。
 石油の埋蔵量が50年と言われるように、ウランの埋蔵量も80~90年とされる。ウランもやがてはなくなるのだ。それなのに、なぜ日本は原子力発電にシフトしたか。
 その理由は、「核燃料サイクル」と「高速増殖炉」の開発にある。経済産業省(旧通産省)や東京電力はじめ電力会社は、これらを実現して原子力発電を日本のエネルギー政策の中心にしていこうと考えた。
 高速増殖炉では、高速の中性子をプルトニウムにぶつけて核分裂を起こし、そこから生じた中性子をプルトニウムとウランにそれぞれぶつける。すると、ウランはプルトニウムに生まれ変わり、プルトニウムが「増殖」して連鎖反応を起こす仕組みになっている。プルトニウムは減らずに増えるのだから、高速増殖炉はまさに「夢の原子炉」と呼ばれた。日本は国家プロジェクトとして高速増殖炉「もんじゅ」の開発を始めた。

 高速増殖炉がダメならプルサーマル方式

 ところが、もんじゅの開発には問題が山積していた。もんじゅは1995年に冷却材として使用しているナトリウム漏えいによる火災事故を起こし、その後も炉内中継装置落下事故などにより稼動できない状態が今も続いている。
 学者の間では「もんじゅはダメだろう」という声が強まり、2012年度の政府予算案ではもんじゅの予算が削減された。
 しかしその一方で、経産省や細野豪志原発事故担当大臣は、「高速増殖炉はやはり研究開発を続けなくてはならないだろう」と言っている。もんじゅはダメだが、別の高速増殖炉の開発は必要だというのである。
 ただ高速増殖炉が難しければ、ブルサーマル方式を推進したいと経産省や東電は考えている。プルサーマルとは、ウランとプルトニウムによる混合酸化物燃料(MOX燃料)を利用するものだ。つまり、再処理したプルトニウムを通常の原子炉でもう一度燃料として使う方式で、高速増殖炉が実現できなくても、その代わりを一部果たすことができるというわけだ。
 結局、問題は何かというと、高速増殖炉が今後実用化されるかどうかだ。それによって原子力発電の将来は大きく変わってくる。

 今夏までに見直すエネルギー政策の行方は?

 「脱原発」になれば、高速増殖炉も核燃料サイクルも放り出されてしまい、使用済み核燃料の最終処分も未解決のままになってしまう恐れがある。
 脱原発派は高速増殖炉を否定するが、しかし科学技術というものは「夢」がないと進歩しない。経済学者のシュンペーターが言うように、イノベーション(革新)がなければ経済は発展しない。脱原発の一番の問題は、「夢」を全部消してしまうことだ。
 政府・民主党は今夏までにエネルギー政策の見直しを行う。枝野幸男経産大臣、細野豪志原発担当大臣、古川元久国家戦略担当大臣、仙谷由人政調会長代行が中心となって作業を進める。
 そこで検討されているシナリオはこうだ。10年後の日本のエネルギー構成は、天然ガスを中心とした化石燃料40%、原子力20%、自然エネルギー20%、そして省エネ技術で20%をカバーとする――。
 去年の夏に電力使用制限令にもとづいて行われた節電が東電管内で18%だったが、それを上回る20%の節電を省エネ技術によって全国的に実現させるという。そして自然エネルギーについては、現在の10%(そのうち水力が大部分を占める)から20%にするため、太陽光と風力、地熱のいずれも現在の10数倍に高めなければならないのである。

 脱原発の「イズム」の段階はもう終った

 こうした難しい現実を前にして、「原発は危ない」とばかり繰り返しているのは一種のファッションに過ぎない。今もっとも考えるべき問題は「今後のエネルギーをどうするか」である。
 新聞も雑誌も「脱原発というファッション」から一歩も踏み出さずにいる。これでは、読者は記事を読むはずがない。
 脱原発は一種の「イズム」である。だが、その段階は終わった。現実にどう対応していくのか。それをまともに考えなくてはならない。
 今の日本では、現実にどうするかを考えることがタブー視される。原発について現実的に考えると、「原発推進派」と言われ、「政府に癒着した考えだ」とされる空気がある。
 しかし、それは違う。原発が抱える現実の問題を今こそ考えるときである。

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 引用した記事を読んで、田原総一朗氏は、結局、「原発を容認、もしくは推進するべきだ」という考えなのだと思いました。


 東日本大震災が起きる前は、私も似たような考え方をしていました。

 日本には、エネルギー資源があまりないので、原発も有効に使えばよいのだと…

 でも、いま現在の考え方は違います。

 過去記事にも書きましたが、原発はコスト的に見て高すぎます。天然ガスなら、原発の三分の二のコストで発電できます。わざわざコストの高い原発をなぜ建設するのか? それは、電気料金が、発電コスト(燃料代と発送電設備に掛けた費用や労務費、宣伝費など)に一定の割合を上乗せする計算で決まる方式だからです。つまり、コストダウンすればするほど、電力会社の利益は減少します。反対に、発電コストをアップするほど、電力会社の利益は増加する仕組みになっているのです。

 だから、同じ発電容量で比較したら、火力発電所に比べて四倍以上も建設費が掛かる原発を推進してきたのです。もちろん、原発メーカーも、ぼろ儲けしたのだと思います。そのムダな費用がすべて電気料金に跳ね返るのです。日本の電気料金が高いのは、電力会社にコストダウンという概念が無いからなのです。

 一番の問題は、普通の民間会社のように、コストを抑えるために安全性を軽視せざるを得なかったという言い訳が、電力会社に限っては通用しないという点です。
 火力発電に比べて四倍以上も高い建設費は、いったい何に使われてきたのでしょうか?

 人間のやることに100%はありません。

 どんなに努力しても、故障や事故を完全に無くすことができないのは分かります。

 しかし、地震や津波に対する想定は甚だ不充分です(実際は、わざと想定から外したとしか思えませんが…)。全所停電(ブラックアウト)は起こり得ないなんて、どこのバカが言ったのか知りませんが、非常用電源が津波で真っ先に壊れてしまうなんてお粗末にも程があります。

 使用済み核燃料の再処理もきちんと出来ていないのです。

 再処理によって生じる核廃棄物の最終的な処分を行える目処も、いまのところはありません。

 老朽化した原発を廃炉にしても、新たな原発を建設できる可能性はほとんどありません。

 この先、日本の総発電量に占める原発の割合は、どんどん減少していかざるを得ないのです。 

 この現実を見れば、原発に夢を託すなんて馬鹿げていると私は思います。

 「脱原発と言うだけでは、原発問題は解決しない」と言いながら、実際は、原発問題を解決するどころか、さらに多くの問題を引き起こすようなこと奨めるなんて、あまりにも無責任なのです。

 天然ガス複合サイクル火力発電所を何箇所か新設すれば、日本にあるすべての原発を停止しても、日本の電力需要は十分にまかなえます。そのほうが、発電コストが下がり、電気料金も下がるのです(原発の発電コストが安いというのは、原発ムラの作り話なのです)。

 われわれ国民は、安全でコストの安い発電方法を採用するように、国や自治体、電力会社に要求すればよいのです。
 年内に、衆議院の解散・総選挙が行われる可能性もあります。その時、どの候補に票を入れるのか、どの候補が本気で原発を無くそうと考えているのか、よく見て判断することが大切だと思います。

 日本は、大きな地震が周期的に起きる国なのです。地震や津波の被害を完全に防ぐことは出来ません。

 でも、原発の事故は防げます。

 そのためには、原発の無い日本を、子どもや孫に残せばよいだけの話です。

 「原発がないと、電力の安定供給が出来ない」という、幼稚な脅しに騙されないでください。

 天然ガスのほうが、ウラニウムよりも、地球上には広く分布しているのですから…

(by 心如) 


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コメント 4

大将

コストよりも安全が大事と思うのは国民ですよね
天然ガスに至っては
今、米国で大きな問題になりつつある資源
と言うのもその掘削方法により天然ガス井戸のそばの水がダメになる
ようは水があっても飲料水にはできなくなってしまう
人のやる事に100%は無い
でも100%に近づける努力は必要
そこにコストや利益を考えてしまうとどんどん100%からは遠くなって
そんな事があり得るんですよねぇ
by 大将 (2012-01-27 07:44) 

袋田の住職

最終処分の目処が立たない以上、後世につけを回すのは無責任だと思います。
by 袋田の住職 (2012-01-27 19:06) 

心如

大将さん、コメントを頂き有り難うございます
 炭鉱事故、油田の火災など、資源を掘削する場所ではいろんな事故や環境破壊が起きているのも事実ですね。
 人間が、豊で便利な暮らしをするために、資源やエネルギーを使えば、必ず環境破壊が起きるというのも悲しいけど現実のようです。
by 心如 (2012-01-27 19:20) 

心如

袋田の住職さん、コメントを頂き有り難うございます
 1000兆円を超える借金と処理しきれない使用済み核燃料、そんなモノを子どもや孫の世代に押し付けておいて、自分たちだけは豊で便利な暮らしを続けたいなんて… いま現在の日本人は、いったいどうしたのかと言いたくなるのですが。。。
by 心如 (2012-01-27 19:35) 

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