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原発よりも国民がかわいそうだと思うが… [エネルギー]

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http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110721/278419/?ST=rebuild
田原総一朗:「原発がかわいそうだ」と私が感じる理由
2011/07/22
田原総一朗(たはら・そういちろう) [BPnet]

 1974年、初の試験航行中に放射能漏れを起こした原子力船「むつ」は、母港である青森県むつ市の大湊港への帰港を猛反対された。私は35年前、そのときの取材をもとに『原子力戦争』(ちくま文庫で復刊)を執筆した。

 反対派も推進派も無茶苦茶な意見

 帰港の反対派は、もし大湊港で強い風に吹かれ「むつ」が転覆したら、青森は第二のヒロシマになると主張した。一方の推進派はこんなことを言った。「放射能は危険だと思っているが、そんなことはない。皆さん、体の調子が悪くなったらラジウム温泉に行くでしょう。そのラジウムから出ているのは放射能です。放射能が体に悪いなんていうのはデマです」
 こうした意見を聞き、私は反対派も推進派も無茶苦茶なことを言っていると感じた。結局、「むつ」は16年間も日本各地の港をさまようことになるわけだが、これでは「原子力」がかわいそうだ、と私は当時思った。
 そこで、出版されていた原子力関連の本を片っ端から買い集め、40冊ほど読んでみた。それぞれ反対派、推進派の立場から書かれていたが、翻訳本の原本はすべてアメリカで出版されたものだった。情報は孫引きの孫引きが多く、数字が間違っていたりする。
 それらを読んで「なんだ、自分の頭で考えていないじゃないか」と思ったものだ。私は「原子力とはいったい何か」という思いをさらに募らせ、自ら取材を重ねて『原子力戦争』を執筆したのである。

 推進派は原子力を愛しているか

 日本では今、脱原発ムードが広がっている。「原発がなければ福島第一原発のような大事故は起きなかった。だから、原発さえなくなればすっきりする」というもので、「脱原発」は今や国民的な潮流となっている。
 しかし、私は「それはちょっと違うのでは?」と感じることがある。原発は、もしなくしても使用済み核燃料の処分など非常に大変な問題が残っている。原発をなくせばすべてが解決するというものではない。
 一方、推進派はどうか。私は反原発の本も読んでいるが、このところ推進派に対してずいぶん取材を行っている。これまでに原子力委員会委員長、東京電力会長、東電の原子力担当の責任者など10数人に会って話を聞いた。そして取材を重ねるたびに感じるのは、「彼らは原子力というものに責任を持っているのだろうか」ということだ。
 やや極端な言い方かもしれないが、どうも彼ら推進派には原子力を愛している人がいないのではないか、と思うようになってきた。原発を推進していくうえで、一人ひとりが与えられた役割を果たしているだけにしか見えないのである。役割を果たすために、やむなく行動している。そう思えてくるのである。

 貞観地震の指摘でなぜ議論を重ねなかったのか

 たとえば、原発と津波の関係について。明治29年(1896年)、「明治三陸地震」によって大津波が発生したが、このときの経験をもとにすればよいと考えられていた。三陸沖には10メートル以上の津波が襲ったが、福島第一原発のある地域には3~4メートルの津波しか来なかった。だから、10メートルを超える大津波など想定していなかったのだ。
 しかし2009年、経済産業省の審議会で「869年の貞観地震による大津波」が指摘されていた。今からおよそ1200年前の平安時代に発生した地震である。もしこの指摘を受け入れ、今回の致命傷となった非常用発電ディーゼルを10メートル以上の高い場所に移して水没を防いでいれば、全電源喪失による大事故は起きなかったのである。
 なぜそうにしなかったのか。取材してみると、「実は、福島第一原発で10メートル以上の高さに上げると、日本にある全原発で同じ対策を取らなければいけない。そうなると、とても手間とコストがかかり大変なことになる」というのだ。
 貞観地震の大津波を指摘されていながらも、なぜもっと議論をしなかったのか。問題を主体的にとらえ、徹底的に議論する姿勢が欠けていたように思う。

 重要なことは誰も決断しない

 また、使用済み核燃料の問題もある。仮に全原発を停止しても、54基の原発からおびただしい量の使用済み核燃料が発生する。使用済み核燃料は有用なウランやプルトニウムを含む非常に危険なもので、最終処理を施さなくてはならない。高レベル放射性廃棄物と溶かしたガラスを混ぜ、ステンレス容器に入れて固める。このガラス固化体を数十年かけて冷却した後、地下数百メートルに埋めることになっている。
 このプロセスの問題の一つは、ガラス固化体を作る国産技術が確立されていないことだ。再処理事業の多くに海外技術を導入しているにもかかわらず、推進派は「ここだけは国産化したい」という悲願を持っている。いくら悲願であっても、国産化できなければ仕方がない。「すでに実用化されているフランスの技術を導入する」といったような決断をできる人がどうもいないのである。
 核燃料サイクルとともに開発を進めてきたのが、「夢の原発」と呼ばれた高速増殖炉「もんじゅ」である。1995年にナトリウム漏れ・火災事故を起こして停止し、2010年5月に運転を再開したものの、原子炉容器内に炉内中継装置(重さ3.3トン)が落下して再び停止したままだ(炉内中継装置は今年6月に引き上げられた)。毎年相当なお金をつぎ込んでいるのに、計画をやめようと誰も決断しない。
 こうしてみると、なすべき決断が常に行われていないのである。私は『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか』という本を書いたが、あの戦争でも日本は誰も責任を持たず、総理大臣も誰もが流れの中でただ役割を果たしただけだった。これは今の原発問題にも共通するように思えてならない。

 「自然エネルギー20%」はとても難しい

 私は19日、岩手県八幡平市の松川地熱発電所を写真週刊誌「FLASH」の取材で訪れた。日本の再生可能エネルギーで最も有望と言われる地熱発電を自分の目で確かめておきたかったからだ。
 松川地熱発電所の発電出力は2万3500kW。日本の地熱発電はすべて合計すると約54万キロワットになる。その総出力が将来どれくらいまで伸びるかというと、最大で500万キロワットだという。脱原発の人たちが今、日本の総電力の2~3割を地熱発電でまかなえると言っているが、とてもそうはいかないのである。
 松川地熱発電所の人に聞いてみると、「太陽光発電、風力発電、地熱発電などすべての再生可能エネルギーを合わせても、将来日本で必要な電力の10%に届けばよいほうだ」と言う。
 日本の電力は66%が石油、石炭、天然ガスによる火力であり、24%が原子力、残り10%のほとんどが水力である。地熱、太陽光、風力、バイオマスといった再生可能エネルギーは全体の2%ほどしかない(2008年)。
 菅直人首相は5月にフランス・ドービルで開かれた主要8カ国首脳会議で、日本の電力について「2020年代の早い時期に再生可能エネルギーの割合を20%を超える水準にする」と表明したが、どうやって引き上げるのか。その根拠は見当たらないのである。

 日本のエネルギー問題を本気で考えよ

 脱原発はムードが先行し、ある意味では無責任とも言えるし、原発推進派は実は責任を持たず、流れの中で役割を分担しているだけである。これが原発をめぐる現状であり、私は35年前に「原子力」がかわいそうだと感じたが、今もそのときと同じ気持ちでいる。
 おそらく日本では、原発の新規建設は難しいだろう。今後、日本のエネルギー問題をどうするのか、本気で考えなくてはならない。
 現在の生産量を前提にすれば、石油は40年後に枯渇し、天然ガスなど他の資源も100年後にはなくなるという意見もある(採算が取れると判断した埋蔵量ベース)。もしそうなれば自然エネルギーに頼らざるを得ない日が必ずやってくる。
 民主党の原発担当者や枝野幸男官房長官に、「日本のエネルギーを本気で考える超党派の委員会をつくるべきだ」と盛んに言っているのだが、どうもその気はまったくなさそうだ。一種の無責任体制の中で、原発問題だけが取り上げられているように思えて仕方ない。

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 引用した記事を読んで、感じた事をまとめておきます。


 まず、未処理の使用済み核燃料がたくさん溜まっているので、原発を廃止してはいけないと言うのは、どう考えてもおかしな理屈です。処理できない使用済み核燃料が溜まっているのです。これ以上、増やさないほうがよいとなぜ考えないのでしょうか? 核廃棄物の最終処分地の目処もつかない状況で、原発を動かし続けるのは無責任だと私は思います。

 次に、日本は、大地震が周期的に発生する地震多発地帯に位置しているのです。日本に、原発を作るのであれば、地震や津波に対して十分な備えが必要だと思います。既存の原発は、建設時に数メートルの津波しか想定されていないのです。少なくとも、20メートルの津波に耐える設計でないと安心とは言えません。そういう意味で、既存の原発はなるべく早く廃止すべきだと私は思います。
 どうしても原子力発電を続けると言うのであれば、震度6強の地震くらいではびくともしない耐震性がまず必要です。その上で、最低20メートルの津波に耐えるものでないと困ります。でも、いま現在の日本で、新しい原発を作るのは無理ではないかと思います。耐震性が不足し津波に弱い既存の原発を、日本で動かし続けるのは避けるべきだと思います。

 過去記事にも書きましたが、原発の代替エネルギーは天然ガスが一番有望なのです。自然エネルギーで原発と同じ電力量をまかなおうとすると、原発以上にコストが嵩みます。その上、風力や太陽光は電力の安定供給ができません。地熱発電では必要な量が確保できません。
 自然エネルギーで、費用対効果が許容できるのは小規模水力くらいのものではないかと思います。本気で日本のエネルギー問題を考えるのであれば、コストの高い風力や太陽光発電に税金を注ぎ込むよりも、天然ガス複合サイクル火力発電と小規模水力発電を推進すべきだと思います。

 原発がかわいそうだ(≒過去の投資が無駄になる)という馬鹿げた理由で、耐震性が不足し、津波に弱い原発を動かし続けることは、国民がかわいそうなのでやめて欲しいと私は思います。

(by 心如)


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shira

 今まで一生懸命働いてきたのにこうなってしまったフクイチ原発が可哀想だから、福島に向かって迷わず成仏するようにと祈っている人がいるという話をどこかで読みました。可哀想というなら、こういう対応もあるんじゃないですかね。
by shira (2012-01-28 22:51) 

心如

shiraさん、コメントを頂き有り難うございます
 そうですね。そういう可哀想ならまだしもです。
 事前に危険性が予測されていたのに、見捨てられたのですから、可哀想だというのもありかもですね。
by 心如 (2012-01-28 23:16) 

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