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大学院は、大学の少子化対応策…!? [教育]

 『がんばらない生き方』(池田清彦/中経出版)を読んで、ちょっと気になる項目があります。

 ワーキングプア製造工場

 ところで昨今は、大学の学部のレベルでは満足せず、「大学院」にまで進むことが一般的になりつつあります。しかし私は、これに対しては強い危惧を感じています。
 博士課程修了者がこれだけ増えているのに、同修了者に相応しい「就職口」が圧倒的に不足している(ことに文系が深刻!)。
 一般的には、どこかの私大の非常勤講師に就くことが多いのですが、そこで得られる収入は極めて低く、妻子を養うことなどとても無理。それこそ“高学歴ワーキングプア”と呼ぶに相応しい話です。
 私は、自分のゼミの学生(学部の三、四年生)には「就職」を薦めるようにしてます。よほどの例外は別ですが、ヘタに大学院などに進学してしまうと、年齢制限や使いにくさといった点で、民間企業から忌避されるのが現状です。この状況は変えるべきだと思いますが、個人の力ではどうにもならないので、現時点では、平均的には大学院には行かない方が賢いと思います。
 自分自身やあなたのお子さんが今まさに「大学院」への進学を検討しているのなら、慎重に判断した方がいいですよ。大学院に進まなければならないほど勉強が得意ですか? モラトリアムの気配は感じられませんか?
 そもそも私が学生の時分は、大学への進学率は今みたいに高くなく、ましてや大学院への進学ともなれば、これはもう「希少」と言うほかありませんでした。
 それが今や、大学は、選り好みさえしなければ誰でも入れる時代になりました。
 大学院もまた、九〇年代の初頭に「大学院生倍増計画」が大学審議会の答申で出されてからというもの、どんどん“広き門”になってしまいました。あの東大大学院だって、読者のみなさんが想像しているほどの難関ではなくなっています。
 大学院の学生定員がこれほど増加したのは大学の生き残り戦略という面が大きかったと思われます。
 大学院がない大学よりも、ある大学の方が格上だとの幻想を大学の教師が抱き、大学院がないと生き残れないと思い込んだというのがまず第一点。次に世間がこの幻想を共有し、大学卒よりも大学院卒の方がエライのだと思い込んだのが第二点。それを真に受けた若者が能力もないのに大学院に進学したことが第三点。学部生が減った分、大学院生を増やして、大学の生き残りを図ったわけです。
 もちろん一番悪いのは出口(就職先)もないのに、入口(入学定員)ばかり増やした文部科学省ですけどね。要するに高学歴ワーキングプアは国に騙されたわけです。今また、法科大学院に入学した学生たちの大半は法曹になれなくて国に騙されつつあります。どちらにせよ、国の政策などを信用するのはバカなのです。国が右といったら左、左といったら右を考えるのが大局的に見ると正しいのです。
 例えば、政府自民党は、預金金利を安くして、さらに一千万円以上の預金は銀行が倒産したら保障しないと決めて、国民の資産を株や投資信託に誘導しました。周知のように、騙されて株を買った人はリーマン・ブラザーズの倒産に端を発する金融危機によって大損したわけです。一番打撃を受けなかったのは、ほとんどゼロの金利にもかかわらず、貯金をしていた人です。くれぐれも国の政策は信じないように。
 ==========(引用終り)==========

 大学院に進学すると、よほど優秀な人でないと、民間企業への就職は反って不利になる。これは新卒採用事務に携った経験からみて事実だと思います。
 学部卒の時点で、良い就職先がない。とりあえず大学院に進学し、修士課程や博士課程を修了。学力的には優秀(試験勉強≒暗記は得意)だが、世間の常識には疎いとなると、本人のプライドが高い分、修士や博士は民間企業では敬遠されるのです。

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タイトルは、『がんばらない生き方』ですが…!? [教育]

『がんばらない生き方』(池田清彦/中経出版)を読んでいたら、このような項目がありました。

 「格差の固定」を憂う

 若い読者のみなさんは信じられないかもしれませんが、私が大学生のころの国立大学の学費は、月額がたったの千円でした。
 当時は、たとえ経済状況が厳しい家に生まれても、ある水準以上の学力を持つ若者であれば、国のおカネで「十分な学問」を身に付けることが可能だったわけです。
 でも、その後は、国立大の学費も上昇に転じ、今や七〇年代中盤の私大並みの水準です。
 確かに「奨学金制度」が存在しますから、それを活用すれば、収入に余裕のない家庭でも、子供を大学に入学させ、卒業させることは可能です。
 しかし外国の大学は授業料が安かったり、高い場合は「返済義務」が不要の奨学金制度が充実しています。それに照らすと日本は、学生当人が背負わなければならない「負荷」が大き過ぎます。
 つまり当人の、その後の人生のあり方を左右する「学歴の取得」において、“裕福な家”に生まれた子供が優位になるのは、紛れもない事実なのです。
 私が教えている大学でも、月十五万円前後の賃貸マンションに一人で住んでいる地方からの学生がいる一方で、稼業が行き詰ったがために、休学を余儀なくされる学生もいたりするなど、かなり開きがあります。
 すべての人は自由で平等である、というのは民主主義の原則であるものの、実際には個人の能力には差があり、貧乏な家に生まれた子と金持ちの家に生まれた子は、平等とは言い難い。
 「努力した人」と「努力しなかった人」の間に格差がつくのはあたりまえとしても、その格差が世代を継続して「固定化」するのは好ましいことではないでしょう。
 それに対応する具体策の一つに「奨学金制度の拡充」が挙げられますが、ただし、そこには阻害要因も存在します。それは自営業者の場合、所得計算上、「貧乏」を装うことが可能ということで、自力で学費が払えるにもかかわらず奨学金を貰ってしまるモラルハザードが、どうしても登場してしまうのです。
 ともあれ、現下の日本の大学にも、決して十分ではないものの「学費免除制度」や「奨学金制度」が存在します。“経済的理由”だけで、当人およびその親御さんが大学進学を断念するのは、もったいない話です。昔も今も経済的格差を解消する手段の一つは、学歴(に伴う知力)であることは間違いないのですから。
 ==========(引用終り)==========

 バブル崩壊以降、日本社会における格差の固定化は、さらに進んでいるのではないかと心配です。子ども手当や高校の授業料無償化のような、ばら撒き買収政策をするおカネがあるのなら、優秀な学生に対する、「学費免除制度」や「奨学金制度」などの拡充くらいは、すぐにもでも出来そうな気がするのですが…
 しかし、本のタイトルは『がんばらない生き方』ですが、経済的格差を解消するには、頑張って良い大学に行くのが有効な手段だと認めています。当たり前すぎて、反って面白いなと思いました。
(by 小父蔵)
 

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